発表者
後藤   晋(東京大学大学院農学生命科学研究科 附属演習林 准教授)
森   英樹(森林総合研究所 樹木分子遺伝研究領域 研究員)
内山 憲太郎(森林総合研究所 樹木分子遺伝研究領域 主任研究員)
石塚   航(北海道立総合研究機構 林業試験場 主査)
河野   優(東京大学大学院理学系研究科 生物科学専攻 特任助教)
種子田 春彦(東京大学大学院理学系研究科 生物科学専攻 准教授)
鐘ケ江 弘美(農業・食品産業技術総合研究機構 農業情報研究センター 主任研究員)
岩田  洋佳(東京大学大学院農学生命科学研究科 生産・環境生物学専攻 准教授)

発表のポイント

  • 30年以上の歳月をかけて高標高×低標高F1同士の人工交配で分離集団を作出
  • 連鎖解析で生長、生理形態形質の量的遺伝子座を検出
  • 針葉樹における標高適応の遺伝的基盤を解明する手がかりへ

発表概要

 北海道に天然分布するマツ科針葉樹トドマツは、低地から高山帯までの幅広い標高域に分布しています。同じトドマツでも、高標高(1200m以上)と低標高(600m以下)に生育している個体は、生長パターンや生理生態形質が大きく異なります。異なる標高の個体を同一環境で育成した実験などから、各個体が自生している標高に遺伝的に適応していることが示唆されていましたが、そのメカニズムはよく分かっていませんでした。東京学大学院農学生命科学研究科の後藤晋准教授らのグループは、元東京大学講師の倉橋昭夫博士が作出した約30年生のトドマツの高標高と低標高に生育する個体を親として、それらの交配後代(F1個体)をさらに交配し、標高適応に関連する特性を支配する遺伝子座について、遺伝子連鎖地図に位置づけることができる分離集団を作出しました。この分離集団を用いて、標高適応に関連すると考えられた15の特性について解析を行なった結果、いくつかの特性でそれらを支配する量的遺伝子座(QTL)が検出されました。特に、10座が検出された樹冠面積に関連するQTLでは、一つのQTLにおける同座付近のDNA塩基配列は、モデル植物として遺伝研究が進んでいるシロイヌナズナで同定されたサイトカイニン・シグナル伝達にかかわる調節因子の塩基配列と非常に似ていることが分かりました。

発表内容

図1 同じ苗畑で7年間育成した1200m産(左)と530m産(右)のトドマツ(倉橋昭夫博士 撮影)


図2 高標高×低標高の交配後代F1試験地(左)と分離集団試験地(右)の設定


図3 デジタル画像からの樹冠の抽出と樹冠面積の推定

 マツ科モミ属の針葉樹トドマツ(注1)は、北海道の天然林の中で蓄積が最も多く、人工造林も盛んであることから、生態的にも経済的にも重要な存在です。本種は低地帯から高山帯まで幅広い標高域に分布しますが、高標高域(1200m以上)と低標高域(600m以下)に生育する個体は樹高や針葉の形態、生理特性が大きく異なります。異なる標高から種子を集めて同じ環境で育成しても、樹高生長や針葉の形や色が明らかに異なり(図1)、これらが遺伝的に決まっていることが示されていました。これは各個体が自生している標高の環境に遺伝的に適応(標高適応)した結果と考えられてきましたが、その遺伝的なメカニズムは分かっていませんでした。
 最近、DNA塩基配列の解読技術が急速に進歩し、多くの生物種で全ゲノムの塩基配列が解読されています。こうした生物では、塩基配列の情報を活用して環境適応の遺伝的なメカニズムの解明に迫ることができるようになりつつあります。しかし、トドマツのようなマツ科針葉樹は、生物の中でもゲノムサイズ(注2)がとりわけ大きく、その構造も複雑であるという問題があります。こうした難点を克服するには、古典的な手法である遺伝子間の連鎖を利用した量的遺伝子座(QTL)解析(注3)が有効です。しかし、この手法を利用するには、目的とする特性(以下、形質とよぶ)が分離する集団と連鎖地図を準備する必要があります。マツ科針葉樹では着花までに数10年の時間がかかる上に、個体サイズが巨大で試験地の設定にも多大な労力とコストがかかることから、進化生態学的な研究を目的とした分離集団はこれまで、ほとんど作られてきませんでした。
 トドマツでは、元東京大学講師(北海道演習林)の倉橋昭夫博士が産地標高による性質の違いに早くから着目し、高標高に自生する複数の個体に交配袋をかけて、低標高個体の花粉をつけて高標高×低標高の交配後代F1を作出し、1986年にこれらを含めたトドマツ交配後代F1試験地(図2左)を設定しました。2008年に筆者らが開花調査を行ったところ、F1の一部の個体が着花していました。そこで、豊作年の2011年にF1同士の人工交配を行い、高標高と低標高ゲノムの分離集団(注4)を作出することに成功しました(図2右)。
 トドマツの標高適応に関連していると予想される特性は、樹高や直径などの生長形質、そして、開芽期、耐凍性、針葉の形態、光合成特性などの生理生態形質です。これまでの研究の結果から標高適応に関連する可能性が高い15形質を選び、個体ごとにそれら形質の値(表現型値)を測定しました。生長形質では、光の獲得と利用に大きく関連すると予想される樹冠面積をデジタル画像から抽出し(図3)、画像解析を用いて計測しました。これらの表現型値とマーカー遺伝子型のデータを用いて、QTL解析を行った結果、開芽期、耐凍性、光合成に関連する測定値、葉の縦横比、また、樹高、直径、樹冠面積に関連するQTLが検出されました。樹冠面積では、全形質中最も多い10座が検出されました。特に、10座が検出された樹冠面積に関連するQTLでは、一つのQTLにおける同座付近のDNA塩基配列は、モデル植物として遺伝研究が進んでいるシロイヌナズナで同定されたサイトカイニン・シグナル伝達にかかわる調節因子と非常に似ていることが分かりました。この調節因子は、細胞分裂や植物の生長とかかわっていることが指摘されており、樹冠面積を制御しているということは十分にあり得そうです。
 トドマツの樹冠面積が本当にこの遺伝子で制御されているのかを生理学的・分子遺伝学的に確かめるためにはまだ多くのステップが必要です。しかし、倉橋昭夫博士の彗眼に端を発した交配から30年以上の歳月をかけ、マツ科針葉樹における局所適応に関連する遺伝子の発見につながる、小さな、しかし重要な一歩を踏み出せたと考えています。

発表雑誌

雑誌名
Genes
論文タイトル
Genetic dissection of growth and eco-physiological traits associated with altitudinal adaptation in Sakhalin fir (Abies sachalinensis) based on QTL mapping
著者
Susumu Goto*, Hideki Mori, Kentaro Uchiyama, Wataru Ishizuka, Haruhiko Taneda, Masaru Kono, Hiromi Kajiya-Kanegae, Hiroyoshi Iwata (*責任著者)
DOI番号
https://doi.org/10.3390/genes12081110
論文URL
https://www.mdpi.com/2073-4425/12/8/1110

問い合わせ先

東京大学大学院農学生命科学研究科 附属演習林 教育・社会連携センター
准教授 後藤 晋(ごとう すすむ)
E-mail:gotos<アット>uf.a.u-tokyo.ac.jp  <アット>を@に変えてください。

用語解説

  • 注1 トドマツ
     マツ科モミ属の常緑針葉樹で、北海道、千島列島、サハリンなどに分布する。北海道では森林蓄積全体の1/4、人工林の半分を占める生態的にも経済的にも重要な樹種である。
  • 注2 ゲノムサイズ
     ゲノムとは、ある生物の種が正常に生存するのに必要な一揃いの染色体の組をいう。通常の二倍体細胞では、その半数体に含まれる遺伝情報を意味する。マツ科針葉樹でのゲノムは20ギガ塩基もあり、モデル植物種であるシロイヌナズナのゲノムの100倍以上である。
  • 注3 量的遺伝子座解析
     環境適応に関連する多くの重要な形質は単一の遺伝子ではなく、複数の遺伝子が関与するため連続的な値をとる。マーカー遺伝子型と表現型値の関係を統計遺伝学のモデルに基づき調べる量的遺伝子座解析が有効である。
  • 注4 分離集団
     分離集団を作出するためには、自殖性植物ではF1同士を自殖し、F2をつくるのが一つの方法であるが、マツ科針葉樹の場合、自殖による近交弱勢の影響を避けるため、本研究のように、両親が異なるF1個体同士を交雑(四元交雑)して分離集団をつくる方法がある。