塩味受容にはCl–が必要?―クロライドイオンが奏でる塩味の秘密―
- 発表者
- 笠原 洋一(東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 共同研究員(研究当時))
成川 真隆(東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 特任助教(研究当時)/
現 京都女子大学 食物栄養学科 准教授)
石丸 喜朗(明治大学 農学部農芸化学科食品機能化学研究室 准教授)
神田 真司(東京大学大学院理学系研究科 生物科学専攻生物学講座 准教授(研究当時)/
現 東京大学大気海洋研究所 生理学分野 准教授)
馬谷 千恵(東京大学大学院理学系研究科 生物科学専攻生物学講座 助教)
高山 靖規(自然科学研究機構岡崎統合バイオサイエンスセンター生理学研究所 特任助教(研究当時)/現 昭和大学 医学部生理学講座 生体制御学部門 講師)
富永 真琴(自然科学研究機構岡崎統合バイオサイエンスセンター生理学研究所 教授)
岡 良隆(東京大学大学院理学系研究科 生物科学専攻生物学講座 教授)
近藤 香(理化学研究所 統合生命医科学研究センター 研究員)
近藤 隆(理化学研究所 統合生命医科学研究センター 上級研究員)
竹内 綾子(福井大学 学術研究院医学系部門医学領域 准教授)
三坂 巧(東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 准教授)
阿部 啓子(東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 特任教授)
朝倉 富子(東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 特任教授)
発表のポイント
- 機能未知であった膜タンパク質TMC4(注1)が塩味受容に関与する電位依存性クロライドチャネル(注2)であることを発見しました。
- 塩味の受容において、クロライドイオンの関わるメカニズムの一端を明らかにしました。
- TMC4は、ヒトの塩味受容機構の解明や減塩効果を示す物質獲得のための有力なツールとして期待されます。
発表概要
味物質は、舌の乳頭組織に存在する味細胞の味覚受容体によって受容され、そのシグナルはいくつかの伝達経路を経て脳へ伝達されます。塩味は、ナトリウムイオンとクロライドイオンの両イオンが必須です。しかし塩味受容におけるクロライドイオンの役割や、それを受容する分子実体は長い間不明でした。
本研究グループは、味細胞に発現する膜タンパク質Transmembrane channel-like4(TMC4)が塩味受容に関わる新規電位依存性クロライドチャネルあることを明らかにしました。ナトリウムイオンが味細胞内に流入することによってTMC4は活性化します。TMC4を通って細胞外のクロライドイオンが細胞内に流入し、塩味シグナルが増幅されると考えられます。TMC4はヒトの塩味受容機構の理解や減塩効果のある物質獲得のための有力なツールとして期待されます。
発表内容
図 高濃度の塩に味細胞が暴露されると(左)、ナトリウムイオンが味細胞内に流入し、塩味シグナルが発生する(中)。この刺激はTMC4を活性化させ、細胞外のクロライドイオンが、活性化されたTMC4を通って味細胞内に流入する(右)。クロライドイオンの流入は、新たな塩味シグナルの発生を加速し、結果的に塩味シグナルを促進させます(下)。
【研究の背景】
過剰な塩分摂取は、重大な健康問題を誘発するリスクを高めるため世界中で減塩に関する様々な施策が検討されています。この問題解決のためには、塩味受容メカニズムを理解することが重要です。これまで塩味受容研究は、ナトリウムイオンの受容を中心に行われてきました。
一方で、クロライドイオンの受容について焦点を当てた研究報告はほとんどありませんでした。そこで本研究では塩味受容におけるクロライドイオンの受容分子の探索とメカニズム解明のための研究を行いました。
【研究内容】
本研究グループは高濃度の塩味受容に新規クロライドイオンチャネルTMC4が関与することを明らかにしました。
まず味細胞で構成された組織である味蕾を多く含む舌の有郭乳頭上皮と、味覚受容に関係ない周辺上皮に発現する遺伝子について、次世代シークエンサーを用いて網羅的に解析しました。この中から、有郭乳頭上皮特異的に発現する遺伝子TMC4を見出しました。in situ hybridization法(注3)により、TMC4の発現部位を解析した結果、TMC4は舌咽神経が投射する有郭乳頭、葉状乳頭の味蕾で強い発現が観察されました。
次に培養細胞を用いて電気生理学的手法により、TMC4の生化学的性質を調べました。TMC4発現細胞が媒介する電流は、細胞内外液に含まれる様々な陽イオンや正電荷を有する高分子NMDGによる影響を受けませんでしたが、NPPBをはじめとする陰イオンチャネル阻害剤の影響を受けることから、TMC4は電位依存性クロライドチャネルであることが明らかになりました。また興味深いことにTMC4は、これまでに報告のあるクロライドイオンチャネルとは異なり、グルコン酸イオンのような大きな分子も透過できる性質を持っていました。
続いて、TMC4の生理的機能を解析するために野生型とTMC4欠損マウスを比較した結果、100 mM、 300 mMのNaCl、300 mMのKClに対する欠損マウスの舌咽神経応答(注4)は野生型マウスに比べて有意に低下しました。
さらに口腔内の生理条件を模した数理解析モデルを用いて、塩味シグナルの増幅には、TMC4が媒介するクロライドイオンの流入が必要であることを示しました。以上の研究から我々はTMC4が塩味受容に関与する初めてのクロライドチャネルであることを発見し、TMC4を介した塩味受容における新たなメカニズムを提唱しました(添付図)。高濃度の塩味刺激に味細胞が暴露されると、味細胞は塩味シグナルを発生します。この刺激はTMC4を活性化させる働きもあります。細胞外のクロライドイオンは活性化されたTMC4を通って味細胞内に流入し、新たな塩味シグナルの発生を促進させます。結果的に、TMC4は塩味シグナルのサイクルの加速させる役割を果たします。尚、動物を用いた研究内容は2017年以前に実施したものです。
【社会的意義・今後の予定】
これまで塩味の受容は、ナトリウムイオンの受容という視点に重きが置かれてきた塩味受容研究に、クロライドイオンが関与する新しいメカニズムを提供しました。
当研究グループは、TMC4を介したクロライドイオンの細胞内流入が塩味の活性化に関与することから、TMC4を活性化させる物質が塩味感受性を増強しうると考え、本内容をPCT特許出願しています。(塩味受容体を用いた塩味増強剤のスクリーニング方法:PCT/JP2018/048305)。また2019年度より国立研究開発法人科学技術振興機構の研究成果最適化展開プログラムシーズ育成タイプに参画し、効果的な減塩を目指す研究に取り組んでいます。(研究開発課題名:呈味性の優れた塩味増強物質の開発に向けた塩味センシング技術の創生と検証)。
発表雑誌
- 雑誌名
- Journal of Physiological Sciences
- 論文タイトル
- TMC4 is a novel chloride channel involved in high-concentration salt taste sensation
- 著者
- Yoichi Kasahara†, Masataka Narukawa†, Yoshiro Ishimaru, Shinji Kanda, Chie Umatani, Yasunori Takayama, Makoto Tominaga, Yoshitaka Oka, Kaori Kondo, Takashi Kondo, Ayako Takeuchi, Takumi Misaka, Keiko Abe* & Tomiko Asakura* † These authors contributed equally to this work. * These authors jointly supervised this work.
- DOI番号
- 10.1186/s12576-021-00807-z
- 論文URL
- https://doi.org/10.1186/s12576-021-00807-z
問い合わせ先
東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 味覚サイエンス(日清食品)寄付講座
特任教授 朝倉 富子(あさくら とみこ)
Tel:03-5841-1942
E-mail:asakura<アット>g.ecc.u-tokyo.ac.jp <アット>を@に変えてください。
研究室URL:http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/tastescience/
用語解説
- 注1 TMC4
膜タンパク質であるTMCファミリーの1つ。哺乳類にはTMC1-8が報告されておりTMC1、TMC2が難聴の原因となる陽イオンチャネルである。しかし、これら以外のTMCファミリーの分子機能は不明であった。 - 注2 電位依存性クロライドチャネル
細胞の生体膜に存在し、クロライドイオン(Cl-:塩化物イオン)を透過させる機能を持つ膜タンパク質。細胞内外のクロライドイオン濃度や膜電位の変化に応じて、その透過性が変化する性質を持つ。 - 注3 in situ hybridization
組織染色法の1つであり、実際の細胞や組織切片に発現する特定のDNAやmRNAの発現局在を確認することができる。 - 注4 舌咽神経応答
味覚神経のうち舌咽神経に流れる電流を測定し、舌から脳へ伝わる味覚受容シグナルを測定する方法