発表者
松郷宙倫(東京大学大学院農学生命科学研究科 獣医学専攻 獣医微生物学研究室 博士課程院生:当時/
     現:獣医公衆衛生学研究室 特任助教)
北村知也(東京大学大学院農学生命科学研究科 獣医学専攻 獣医微生物学研究室 博士課程院生:当時)
神木春彦(東京大学大学院農学生命科学研究科 獣医学専攻 獣医微生物学研究室 博士課程院生:当時)
石田大歩(東京大学大学院農学生命科学研究科 獣医学専攻 獣医微生物学研究室 博士課程院生:当時) 
関根 渉(東京大学大学院農学生命科学研究科 獣医学専攻 獣医微生物学研究室 博士課程院生)
上間亜希子(東京大学大学院農学生命科学研究科 獣医学専攻 獣医微生物学研究室 特任助教)
中川貴之(東京大学大学院農学生命科学研究科 獣医学専攻 獣医外科学研究室 准教授)
村上 晋(東京大学大学院農学生命科学研究科 獣医学専攻 獣医微生物学研究室 准教授)
堀本泰介(東京大学大学院農学生命科学研究科 獣医学専攻 獣医微生物学研究室 教授)

発表のポイント

  • コウモリアデノウイルス(注1)は、犬の様々な腫瘍細胞で高い増殖性と傷害性を示しました。
  • コウモリアデノウイルスの遺伝子操作技術を確立しました。
  • 遺伝子改変したコウモリアデノウイルスは、犬腫瘍細胞における増殖性と傷害性が上昇し、犬のがん治療への応用が期待できます。

発表概要

 犬において腫瘍は大きな死因の一つであり、腫瘍特異的に増殖する腫瘍溶解性ウイルス(注2)を用いた新たな治療法が注目されています。これまでに犬アデノウイルスを用いた研究がありますが、多くの犬は犬アデノウイルスを中和するワクチン抗体を持つためその効果が減弱します。私たちは、犬アデノウイルスに近縁であるが中和交叉しないコウモリアデノウイルスに注目しました。今回、種々の犬腫瘍細胞での高い増殖性と傷害性が認められたコウモリアデノウイルス株を用いて、細菌人工染色体(注3)を用いた組換え技術を開発し、犬のがん治療への応用が期待できる、腫瘍細胞選択性の強い遺伝子改変コウモリアデノウイルスを作出することに成功しました。

発表内容

図1 各種の犬腫瘍細胞における犬アデノウイルスとコウモリアデノウイルス(Vs9,Mm32)の増殖性と障害性。増殖・障害が起きたウェルは染色されない。


図2 細菌人工染色体を用いたコウモリアデノウイルス遺伝子改変系とE1欠損ウイルスの作出。E1遺伝子欠損部位にVenus遺伝子を挿入した。


図3 Mm32-E1Ap+cTERTpの各種犬腫瘍細胞における増殖性

 犬の主な死因の一つである腫瘍は、化学療法、外科療法、放射線療法など既存の治療法では完全に除去できない場合があり、新たな治療法の開発が望まれています。腫瘍溶解性ウイルス療法は、腫瘍特異的に増殖するウイルスを用いる革新的な治療法として注目されていますが、獣医学領域では医学領域に比べその開発は進んでいません。海外では犬アデノウイルスをベースとする腫瘍溶解性ウイルスの研究がありますが、犬に伝染性肝炎(1型)や伝染性喉頭気管炎(2型)を起こす病原体であり、飼育犬の多くはワクチンによる中和抗体を持っています。そのため、犬アデノウイルスをベースとする腫瘍溶解性ウイルスは、その効果が減弱します。今回、この問題に対処するために、健康なコウモリから分離したコウモリアデノウイルス(Vs9株、Mm32株)に注目しました。これらの株は、犬アデノウイルスとの中和交叉がなく犬の腎臓細胞において高い増殖性を示しました。また、種々の犬腫瘍細胞においても犬アデノウイルスに匹敵する高い増殖性と傷害性を示しました(図1)。
 コウモリアデノウイルスに腫瘍選択性を付加するためには、遺伝子改変技術が必要です。そこで、細菌人工染色体を用いたMm32株の遺伝子改変系を開発し、初期遺伝子E1Aを欠損させた組換えウイルスを作出して調べたところ(図2)、E1Aの発現がウイルスの増殖効率を制御することがわかりました。次に、腫瘍選択的に高い活性を示す犬テロメラーゼ逆転写酵素プロモーター(cTERTp)(注4)をE1Aの転写制御領域に挿入した組換えウイルス(Mm32-E1Ap+cTERTp)を作出しました。Mm32-E1Ap+cTERTpの犬細胞での増殖性を改変前のウイルス(Mm32-rWT)と比較したところ、正常細胞では変化しないのに対し、多くの腫瘍細胞における増殖性と傷害性が上昇し、腫瘍選択性の増強が認められました(図3)。
 本研究により、犬腫瘍細胞における増殖性と傷害性が選択的に上昇した組換えコウモリアデノウイルスの作出に成功しました。今後、腫瘍溶解性ウイルスとして犬のがん治療への応用が期待されます。また、確立したコウモリアデノウイルスの遺伝子改変系は、病原性解析などの基礎研究や、人や家畜を対象とした組換えワクチンや遺伝子導入ベクターの開発にも活用することができます。

発表雑誌

雑誌名
Scientific Reports
論文タイトル
A potential bat adenovirus‑based oncolytic virus targeting canine cancers
著者
Hiromichi Matsugo, Tomoya Kitamura‑Kobayashi, Haruhiko Kamiki, Hiroho Ishida, Wataru Sekine, Akiko Takenaka-Uema, Takayuki Nakagawa, Shin Murakami, Taisuke Horimoto
DOI番号
10.1038/s41598-021-96101-4
論文URL
https://www.nature.com/articles/s41598-021-96101-4

問い合わせ先

東京大学大学院農学生命科学研究科 獣医学専攻 獣医公衆衛生学研究室
特任助教 松郷 宙倫(まつごう ひろみち)
Tel:03-5841-3094
Fax:03-5841-8184
E-mail:matsugo-hiromichi<アット>g.ecc.u-tokyo.ac.jp  <アット>を@に変えてください。

東京大学大学院農学生命科学研究科 獣医学専攻 獣医微生物学研究室
教授 堀本 泰介(ほりもと たいすけ)
Tel:03-5841-5396
E-mail:taihorimoto<アット>g.ecc.u-tokyo.ac.jp  <アット>を@に変えてください。

用語解説

  • 注1 コウモリアデノウイルス
     世界の様々なコウモリから検出、分離されている。非病原性の常在ウイルスであると考えられる。人や他の哺乳類への感染の報告はない。
  • 注2 腫瘍溶解性ウイルス
     がんの治療を目的に開発されたウイルス。腫瘍細胞特異的に増殖し、腫瘍細胞を破壊するとともに、抗腫瘍免疫を誘導する。医学領域ではアデノウイルス以外にヘルペスウイルス、ポックスウイルス、レオウイルスなどを用いた報告があり、一部は承認されている。
  • 注3 細菌人工染色体
     大腸菌の接合性に関与するFプラスミドの複製に必要な因子をもつベクターで、細菌中にサイズの大きなインサートを低コピーで安定に維持できる。
  • 注4 テロメラーゼ逆転写酵素
     染色体の末端に存在するテロメアの維持を担うテロメラーゼの構成要素の一つ。