発表者
陸 鵬(東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命化学専攻 助教)
隋 苗苗(東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命化学専攻 博士課程)
張 迷敏(東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命化学専攻 特任研究員:当時)
王 夢瑶(東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命化学専攻 特任研究員:当時)
神谷 岳洋(東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命化学専攻 准教授)
岡本 研(東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命化学専攻 特任研究員)
伊藤 英晃(東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命化学専攻 特任研究員)
奥田 傑(東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命化学専攻 准教授)
鈴木 道生(東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命化学専攻 准教授)
朝倉 富子(東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命化学専攻 特任教授)
藤原 徹(東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命化学専攻 教授)
永田 宏次(東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命化学専攻 教授)

発表のポイント

  • ビブリオ属細菌Vibrio metschnikoviiの鉄取込み阻害剤としてロスマリン酸(RA)を同定した。RAはビブリオ菌の鉄結合タンパク質VmFbpAへのFe3+の結合を競合阻害した。
  • RAのみよりもクエン酸ナトリウム(SC)を添加した方が、ビブリオ菌の増殖を効果的に抑制した。SCはFe2+に配位し、ビブリオ菌が利用可能な鉄をさらに減少させると解釈した。
  • RAとSCの併用により、V. metschnikoviiだけでなく、腸炎ビブリオ感染 症(V. parahaemolyticus)やビブリオ・バルニフィカス感染症原因菌(V. vulnificus)の増殖も抑制可能であった。

発表概要

 畜産や養殖では高密度での飼育が行われる。この際、感染症予防のために、広く抗生物質が用いられてきたが、この抗生物質の濫用により、多剤耐性菌が出現し、世界中で急速に広まっている。多剤耐性菌には抗生物質が効かないため、多剤耐性菌で汚染された畜肉や養殖魚が流通し、食品の安全性を脅かす事態となりつつある。
 本研究では、抗生物質に頼らずに感染症原因菌の増殖を抑制するため、細菌の増殖に必須な元素である「鉄」の取込みに着目し、海産物の食中毒原因菌であるビブリオ属細菌の鉄取込みを阻害する化合物をスパイス・ハーブ抽出物から探索した。その結果、ローズマリーの熱水抽出物に含まれるロスマリン酸がビブリオ菌の鉄取込みを抑制して静菌作用を示すこと、ロスマリン酸とクエン酸ナトリウムを併用することにより静菌効果が増強されることが明らかになった。上記2つの食品成分の組合せにより、腸炎ビブリオ感染症やビブリオ-バルニフィカス感染症原因菌の増殖が阻害されたが、腸内常在菌である大腸菌の増殖には影響がなかった。海水温上昇により今後増加が見込まれるビブリオ感染症の予防策として、安全で効果的な静菌剤としての両化合物の利用が期待される。

発表内容

図1 ローズマリー抽出物に含まれるロスマリン酸(Rosmarinic acid)によるビブリオ属細菌の鉄取込み阻害による静菌作用
 ビブリオ属細菌は魚介類を介して食中毒などの感染症を引き起こす。米国では毎年約8万件の腸炎ビブリオ感染症が発生している。日本では発生件数は少ないが、水温上昇によりビブリオ感染症の増大が懸念されている。
 本研究により、ロスマリン酸が、ビブリオ属細菌の鉄取込みに重要なタンパク質FbpA(Ferric ion binding protein A)と三価の鉄イオン(Fe3+)との結合を阻害することで、ビブリオ属細菌の増殖を抑制することが明らかになった。さらに、このロスマリン酸の静菌効果は、二価の鉄イオン(Fe2+)のキレート剤であるクエン酸ナトリウム塩を共存させることにより増強された。
 ともに食品に含まれる安全な成分である、ロスマリン酸とクエン酸ナトリウムを混合して用いることで、食中毒原因菌であるビブリオ属細菌の増殖をほぼ完全に抑制できるという知見は、ビブリオ属細菌による感染症予防に極めて有用な知見である。

 畜産や養殖では高密度での飼育が行われるため、感染症を予防するために、広く抗生物質が用いられてきた。しかし、抗生物質(注1)の濫用により、多剤耐性菌(注2)が出現し、世界中で急速に広まっている。多剤耐性菌には抗生物質が効かないため、多剤耐性菌に汚染された畜肉や水産物が世界規模で流通し、歯止めの効かない人畜共通感染症の発生・拡大や薬剤耐性遺伝子による環境汚染が進み、食品の安全性を脅かす事態となっている。
 多剤耐性菌の蔓延を防ぐためには、新たな戦略が必要である。無理に殺そうとすると耐性菌が生じるため、人畜の健康に悪影響を及ぼす細菌だけに作用し、それらの増殖を抑える静菌剤の開発がその一つである。
 本研究では、水産物の主な食中毒原因菌であるビブリオ属細菌(注3)を対象とし、ビブリオ属細菌の増殖に必須な栄養素「鉄」の取込みを阻害し、その結果として当該細菌の増殖を阻害する化合物を食品成分から探索した。食品成分として、スパイス・ハーブ20種類の熱水抽出物を用いた。日本国内でのビブリオ感染症の発生数はさほど多くないが、米国では年間8万件ほど発生し、100人ほどの死者を出している。海水温の上昇により日本でも今後ビブリオ感染症が増加すると懸念されている。
 ビブリオ属細菌はグラム陰性細菌(注4)であり、鉄を取込む際にペリプラズムにある鉄結合タンパク質(FbpA)から内膜の鉄輸送体(FbpBC)に鉄イオンを引渡す。そこで、ビブリオ属細菌の一種であるVibrio metschnikoviiのFbpAとFe3+の結合を阻害する食品成分を見出すこととした。FbpAタンパク質はFe3+結合型だと黄色を呈するが、Fe3+が外れると無色であることを利用し、最初にFe3+結合型FbpAの黄色い溶液にスパイス・ハーブ抽出液を加えて色が変化したものを選び、次にその中からFbpAのFe3+結合量が減っているものを選んだ。この結果、ローズマリーとシナモンの熱水抽出物にFbpAのFe3+結合を阻害する効果があることが示された。その後、ローズマリー熱水抽出物中の活性物質はロスマリン酸(RA)であることを特定した。RAはFe3+よりも強くFbpAに結合することが等温滴定熱測定(注5)により示され、RAはFbpAのFe3+結合部位に競合的に結合することがドッキングシミュレーション(注6)により示唆された。さらに、RAはFe3+をFe2+に還元し、VmFbpAが利用できない鉄の形態にすることも明らかになった。その結果、RAは1000 μMでV. metschnikoviiの増殖を対照の1/3にまで抑制した。
 さらに、鉄(Fe2+)キレート剤であるクエン酸ナトリウム(SC)の添加により、RAによるV. metschnikovii増殖抑制効果は増強され、V. metschnikoviiはRAとSCの濃度が100/100 μMで、ビブリオ感染症原因菌のV. vulnificusおよびV. parahaemolyticusはそれぞれ100/100 μMおよび1000/100 μMで完全に増殖が抑制された。一方でRAとSCの混合物は、大腸菌Escherichia coliの増殖には影響しなかった。これは、腸内常在菌であるE. coliが宿主であるヒト等の哺乳類から種々の形態の鉄(ヘム鉄やトランスフェリン結合状態の鉄など)を奪って取込む経路を有するためと考えられる。この結果から、RAとSCの混合物はビブリオ属細菌に対する静菌剤として有望である一方、消化管内常在菌にはほとんどダメージを与えないことが期待される。
 興味深いことに、1934年に鐵本總吾(伝染病研究所)が『諸調味料の腸チフス菌及びコレラ菌に對する殺菌力』という論文の中で、梅干しにビブリオ属細菌の一種であるコレラ菌V. choleraeに対する静菌作用があると報告している。梅干しはシソ由来のロスマリン酸と梅由来のクエン酸を含むため、これらがコレラ菌に対する静菌作用を示した可能性がある。
 本研究で得られた知見(図1)は、畜産や養殖におけるビブリオ感染症の予防や抗生物質の濫用防止に寄与するものである。本研究の目的は、抗生物質に頼らず、食中毒原因菌の増殖を抑制する技術の確立にある。食品の安全を守るための基盤技術であるので、今後、ビブリオ属細菌以外の感染症原因菌に対しても、食品由来の静菌剤を見出していく予定である。

発表雑誌

雑誌名
International Journal of Molecular Sciences
論文タイトル
Rosmarinic Acid and Sodium Citrate Have a Synergistic Bacteriostatic Effect against Vibrio Species by Inhibiting Iron Uptake
著者
Peng Lu*, Miaomiao Sui, Mimin Zhang, Mengyao Wang, Takehiro Kamiya, Ken Okamoto, Hideaki Itoh, Suguru Okuda, Michio Suzuki, Tomiko Asakura, Toru Fujiwara, Koji Nagata*
DOI番号
10.3390/ijms222313010
論文URL
https://www.mdpi.com/1422-0067/22/23/13010

問い合わせ先

東京大学 大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 食品生物構造学研究室
教授 永田 宏次(ながた こうじ)
〒113-8657 東京都 文京区 弥生 1-1-1
Tel:03-5841-1117
Fax:03-5841-5168
E-mail:aknagata<アット>mail.ecc.u-tokyo.ac.jp  <アット>を@に変えてください。
研究室URL:http://park-ssl.itc.u-tokyo.ac.jp/fbsb/

助教 陸 鵬(りく ほう)
〒113-8657 東京都 文京区 弥生 1-1-1
Tel:03-5841-5166
E-mail:porterlu<アット>g.ecc.u-tokyo.ac.jp  <アット>を@に変えてください。

用語解説

  • 注1 抗生物質
     放線菌などの微生物によって作られる化学物質で、他種の細菌を増殖阻止または死減させる化合物のことをいう。最近は化学的に合成された抗生物質も多く開発されている。
  • 注2 多剤耐性菌
     遺伝子変異により多くの抗生物質が効かなくなった細菌のことをいう。病原菌を死減させるために抗生物質が用いられるが、病原菌の一部に遺伝子変異が生じ、多種類の抗生物質に耐性を獲得した菌のことを多剤耐性菌と呼ぶ。抗生物質を多用することにより、多くの抗生物質が効かなくなった多剤耐性菌が世界中で見つかっており、病院で院内感染を引き起こすほか、畜産・養殖においても多剤耐性菌に汚染された食品流通の惧れが問題となっている。
  • 注3 ビブリオ属細菌
     ビブリオ属は、水圏に生息し、曲がった棒のような形状をしているグラム陰性細菌で、淡水に生息するコレラ菌(V. cholerae)や海水に生息する腸炎ビブリオ菌(V. parahaemmolyticus)などが食中毒原因菌として知られる。腸炎ビブリオ菌は現代の日本においても主要な食中毒原因菌であり、加熱が不十分な魚介類を食べることにより感染する例が多い。
  • 注4 グラム陰性細菌
     ハンス・グラムにより1884年に考案された細菌の鑑別法(グラム染色法)により、細菌は2種類に大別され、紫色に染まるものをグラム陽性菌、染まらないものをグラム陰性菌という。グラム染色では、まず紫色の色素(クリスタルバイオレット)を作用させて全細菌を染めた後、ヨウ素液による色素固定、アルコールによる脱色を行う。アルコールは細胞壁の薄いグラム陰性細菌に対し大きな損傷を与えて色素を流出させるが、細胞壁の厚いグラム陽性菌では色素流出があまり起こらず、紫色が維持される。ビブリオ属細菌はグラム陰性細菌である。
  • 注5 等温滴定熱測定
     一定温度下で滴定に伴う熱量変化を検出する方法。分子同士が結合する時に発生または吸収する微小な熱量変化を計測し、得られる滴定曲線から、結合比、結合定数、結合のエンタルピー変化を求めることができ、結合のGibbs自由エネルギー変化、結合のエントロピー変化を算出できる。
  • 注6 ドッキングシミュレーション
     特異的に結合する2種類の分子が、どのように結合するか、分子構造に基づいて、計算化学により推測すること。本研究では、高分子であるタンパク質FbpAに対して低分子であるロスマリン酸がFbpAのどの部位にどのような形で結合するかを予測した。