発表者
Bright G. Adu (東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命化学専攻 大学院生)
Aizelle Y. S. Argete (東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命化学専攻 大学院生(当時))
江川 咲子 (東京大学農学部生命化学·工学専修 学生(当時))
永野  淳 (龍谷大学農学部植物生命科学科 教授/慶應義塾大学先端生命科学研究所 教授)
清水 顕史 (滋賀県立大学環境科学部生物資源管理学科 准教授)
大森 良弘 (東京大学大学院農学生命科学研究科アグリバイオインフォマティクス教育研究ユニット 准教授)
藤原  徹 (東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命化学専攻 教授)

発表のポイント

  • 野生イネ(注1)の染色体断片が導入された水稲品種コシヒカリは、低窒素栄養環境において、地上部(葉や茎)や根のバイオマスおよび収量が増加することを明らかにした。
  • 野生イネの染色体断片が導入された水稲品種コシヒカリは、低窒素栄養環境において、窒素利用効率(注2)が増加することを明らかにした。
  • 近年、価格が高騰し、環境汚染の原因にもなっている化学肥料の使用量を削減した低投入持続型農業(注3)を実現する作物の開発が期待される。

発表概要

 応用生命化学専攻植物栄養・肥料学研究室のBright G. Adu、藤原徹、アグリバイオインフォマティクス教育研究ユニットの大森良弘らは、龍谷大学の永野淳教授、滋賀県立大学の清水顕史准教授との共同研究により、日本の水稲品種 (コシヒカリ) の染色体の一部を野生稲の染色体に置き換えた系統群から、低窒素栄養環境でも大きなバイオマスと収量を示す系統 (KRIL37) を発見し、生体内窒素の測定やトランスクリプトーム解析(注4)を行うことでKRIL37では窒素栄養環境で窒素の利用効率が増加することを明らかにしました。
 この研究成果は「Plant and Cell Physiology」に掲載されました。
 この研究は、日本学術振興会(JSPS) および内閣府ムーンショット型農林水産研究開発事業(管理法人:生研支援センター)の支援を受けたものです。

発表内容

図1:低窒素栄養水耕栽培における生育とC/N比 通常窒素栄養環境(NN, 1.6mM NH4)および低窒素栄養環境(LN, 0.4mM NH4)に設定した水耕栽培(木村氏B液)における3週齢のイネ幼苗の根の長さ(A)、地上部の長さ(B)、根の乾燥重量(C)、地上部の乾燥重量(D)、根のC/N比(E)、ならびに地上部のC/N比(F). ***, p < 0.001; **, p < 0.01; *, p < 0.05; ns, 有意差なし.(拡大画像↗)


図2:無窒素施肥および無施肥水田における生育 東京大学弥生キャンパスおよび滋賀県立大学に設置された水田における登熟期のイネの穂の重量ならびに藁の重量. N, 無窒素施肥; +N, 通常施肥; -F, 無施肥; +F, 通常施肥. ***, p < 0.001; **, p < 0.01; *, p < 0.05; ns, 有意差なし.(拡大画像↗)


図3:窒素利用関連遺伝子のmRNA蓄積量 各比較における相対的なmRNA蓄積のlog2値をカラーコードで示している. ST, 地上部; RT, 根; LN, 低窒素栄養環境; NN, 通常窒素栄養環境; KRIL37, KRIL37; KH, コシヒカリ; *, FDR < 0.05(拡大画像↗)


図4:低窒素栄養水耕栽培での窒素利用効率通常窒素栄養環境(NN, 1.6mM NH4)および低窒素栄養環境(LN, 0.4mM NH4)に設定した水耕栽培(木村氏B液)における3週齢のイネ幼苗の窒素利用効率. **, p < 0.01; ns, 有意差なし.(拡大画像↗)

 タンパク質、核酸、植物ホルモンなどの化合物の成分である窒素は植物の生育に必須の栄養素です。植物の生育に必要な栄養素の中でも土壌中の窒素は失われやすいため、しばしば作物生産量の限定要因となります。緑の革命(注5)以降、人口の増加に伴う食料需給を支えるため、化学肥料により窒素を大量に投入することで作物生産量の増加を達成してきました。一方で、農業における大量の窒素施肥は、湖沼や河川、海域の富栄養化、底層の貧酸素化、地下水の汚染などを引き起こし、大気中に放出された窒素酸化物は酸性雨の原因や地球温暖化物質(注6)として問題になっています。地球環境への影響を最小限に抑えながら、作物生産量を維持・向上するためには、養分吸収と窒素利用効率を改善した作物品種を開発する必要があります。
 現在栽培されているイネは、野生イネが栽培化されたものです。古代人により農業に適した個体が繰り返し選抜されることで栽培化が達成されたと考えられています。他方で、栽培化における選抜の過程では、野生イネが本来持っていた多種多様な遺伝子が失われていることも知られています。我々は野生イネの持つ遺伝子の多様性に注目し研究を行いました。研究には野生イネ (Oryza rufipogon) と栽培イネ(水稲品種コシヒカリ)から作成された野生イネイントログレション系統群 (野生イネILs, 注7) を用い、先ず、低窒素栄養環境でも大きなバイオマスを示す系統のスクリーニングを行いました。その結果、野生イネILs の一つであるKRIL37は、低窒素栄養環境に設定した水耕栽培(窒素量を通常の 1/4に設定) でコシヒカリよりも良く生育し、地上部(葉や茎)C/N比(注8)が低いことがわかりました(図1)。この結果は、KRIL37は低窒素栄養環境において窒素の取り込み能力が高いことを示唆しています。次に、東京大学弥生キャンパスに設置された無窒素肥料水田および滋賀県立大学に設置された無施肥水田での生育調査を行ったところ、KRIL37は無窒素施肥、無施肥の両方の水田においてコシヒカリより大きなバイオマスと収量を示すことがわかりました(図2)。これらの結果は、KRIL37は低窒素栄養耐性を持つ系統であり、実験室内の水耕栽培だけではなく、実際の水田環境においても窒素肥料を低減した栽培に有用であることを示しています。
 さらに、KRIL37が示す低窒素栄養耐性の分子機構を明らかにするために RNA-seq 法(注9)によるトランスクリプトーム解析を行いました。その結果の一つとして、KRIL37ではアンモニウムトランスポーター(OsAMT1;2, OsAMT1;3)やグルタミン酸合成酵素(OsGOGAT1, OsGOGAT2, OsGLN1;2)、グルタミン酸レセプター(OsGLR1.2)をコードするmRNAの蓄積量などが低窒素栄養環境で高く維持されることを明らかにしました(図3)。グルタミン酸合成酵素はアンモニウムによって誘導されることが知られているため、KRIL37の示した高いmRNA蓄積量は低窒素栄養環境においてアンモニウムの取り込みが促進されたことを示唆しており、同じくKRIL37が示した低いC/N比や高いアンモニアトランスポーターのmRNA蓄積量と一致する結果でした。グルタミン酸合成酵素はアンモニウムをアミノ酸の一つであるグルタミンへ変換する窒素同化に重要な役割を持つことが知られていますので、低窒素栄養環境におけるアンモニアの取り込みに加え窒素同化の向上が、KRIL37が低窒素栄養環境において大きなバイオマスを示す要因であると考えられます。実際に低窒素栄養環境における窒素利用効率を算出すると、KRIL37ではコシヒカリと比べて窒素利用効率が2倍程度向上していました(図4)。
 本研究の成果である野生イネから発見した低窒素栄養環境での窒素利用効率を増加させる遺伝子資源は、環境汚染の原因になっている化学肥料の使用量を削減した低投入持続型農業に利用可能であると考えられます。今後は原因遺伝子を単離することで、DNAマーカー(注10)による効率的な新品種育成や、小麦やトウモロコシなど他のイネ科作物への応用といった発展が期待されます。

発表雑誌

雑誌名
Plant and Cell physiology
論文タイトル
A Koshihikari×Oryza rufipogon Introgression Line with a High Capacity to Take up Nitrogen to Maintain Growth and Panicle Development under Low Nitrogen Conditions
著者
Bright G. Adu, Aizelle Y. S. Argete, Sakiko Egawa, Atsushi J. Nagano, Akifumi Shimizu, Yoshihiro Ohmori and Toru Fujiwara *(* corresponding author)
DOI番号
10.1093/pcp/pcac097
論文URL
https://academic.oup.com/pcp/advance-article/doi/10.1093/pcp/pcac097/6632438

問い合わせ先

東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 植物栄養・肥料学研究室
教授 藤原 徹(ふじわら とおる)
Tel/Fax:03-5841-5104br> E-mail:atorufu<アット>mail.ecc.u-tokyo.ac.jpp  <アット>を@に変えてください。

用語解説

  • 注1 野生イネ
     イネ科イネ属の植物のうち、栽培化されていない植物種の総称。Oryza rufipogon はアジアに自生する野生種で、栽培イネ(Oryza sativa)の祖先種であるとされている。
  • 注2 窒素利用効率
     さまざまな指標があるが、農学では施肥窒素量あたりの生産量などが窒素利用効率として使用される。本研究では水耕栽培時のイネの地上部乾燥重量(g)/水耕液中の窒素(g)により算出した。
  • 注3 低投入持続型農業
     化学肥料や農薬,石油エネルギーの大量投入に代わり有機物等を用いることで環境負荷を低減し、自然生態系の力を活用しながら、環境との調和がとれた持続可能な農業生産をしようとする考え方。
  • 注4 トランスクリプトーム解析
     オミクス解析の一つで、生体内の遺伝子発現(mRNAなど)を網羅的に解析すること。
  • 注5 緑の革命
     1940年代から1960年代にかけて行われた農業革命。高収量品種の開発・導入と化学肥料や農薬の大量投入により穀物の生産性が向上し、穀物の大量増産を達成した。
  • 注6 地球温暖化物質
     地球温暖化を進める物質。二酸化炭素(CO2)、メタン(CH4)、一酸化二窒素(N2O)の3つの温室効果ガスが農地土壌から排出される主な地球温暖化物質である。過剰な窒素施肥はN2O発生増加の原因となっている
  • 注7 野生イネイントログレション系統群
    戻し交雑によって野生イネの染色体の一部を栽培イネに導入した系統群。系統群全体で野生イネのゲノム全体をカバーするように設計されている。
  • 注8 C/N比
     有機物などに含まれている全炭素(C)量と全窒素(N)量の比率。
  • 注9 RNA-seq 法
     次世代シーケンサー(NGS)により全転写物の塩基配列を決定する方法。トランスクリプトーム解析に用いられる手法の一つ。
  • 注10 DNAマーカー
     品種や個体を識別する際の目印となるDNAの並び方の違い。