発表者
堀上 大貴(東京大学大学院農学生命科学研究科 獣医学専攻 特任研究員:研究当時)
佐山 尚也(東京大学大学院農学生命科学研究科 応用動物科学専攻 修士課程学生:研究当時)
林 亜佳音(東京大学大学院農学生命科学研究科 獣医学専攻 博士課程学生)
中村 達朗(東京大学大学院農学生命科学研究科 応用動物科学専攻 特任講師:研究当時)
村田 幸久(東京大学大学院農学生命科学研究科 獣医学専攻 准教授)

発表のポイント

  • 2011年から2016年の間に、福島第一原発周辺の帰還困難区域にて維持されてきた牛が受けた被ばく量は、推定1520 mGyであった。そのうち放射性ヨウ素(131I)からの被ばく量は推定85 mGyだった。
  • 被ばく牛の甲状腺を調べたところ、他の一般の牛の甲状腺と比較して重量がやや軽い傾向があった。一方で病理学的に異常とみられる所見は見つからなかった。甲状腺機能の指標となる甲状腺ホルモンの血中濃度は、一般牛と比較して被ばく牛で高かった。
  • 個々の牛を比較したところ、推定される被ばく量と甲状腺の変化には相関は認めらなかった。

発表内容

図1:研究の目的
福島第一原発事故の周辺で飼育されていた牛を対象に、その外部被ばく量と内部被ばく量、身体の状態、甲状腺の形態、甲状腺の機能などを長期間にわたり評価した (拡大画像↗)


図2:牧場の所在地
研究対象とした牛が飼育されていた牧場の所在地を示す。(拡大画像↗)


表1:結果のまとめ
2016年10月時点のA牧場とB牧場で飼育されていた牛の外部被ばく量、内部被ばく量(放射性物質別)、甲状腺に含まれていた安定体のヨウ素127(127I)、甲状腺の大きさ、血中の甲状腺刺激ホルモン(TSH)と甲状腺ホルモン(T3/T4)の濃度を示す。(拡大画像↗)

【研究背景】
1986年に起こったチェルノブイリ原子力発電所の事故において、事故5年後に小児における甲状腺がんの発症率の上昇が報告された。このことから、特に半減期が短く(高い放射能を持ち)、甲状腺に蓄積する放射性ヨウ素(131I)注1が、甲状腺がんを起こすきっかけになるとの懸念があった。

このため、2011年に東日本大震災に伴って発生した福島第一原発の事故においても、周辺地域に飛散したヨウ素(I)やセシウム(Cs)2といった放射性物質が、住民の健康や甲状腺の機能に悪影響を与えることが長らく懸念されてきた。

東京大学大学院農学生命科学研究科の放射線動物科学研究室では「低線量の長期被ばくが生体に与える影響」の評価を約10年にわたり行ってきた。具体的には、福島第一原発事故の周辺(帰還困難区域)で現在も飼育されている牛を対象に、その外部被ばく量(空間からの被ばく量)、内部被ばく量(放射性物質を体内に取り込むことで受ける被ばく量)、身体の状態、甲状腺の形態、甲状腺の機能などを継続してモニタリングしてきた。この度、これらの結果を論文にまとめ報告した。

【研究結果】
2011年から2016年の間に、福島第一原発周辺の管理区域(帰還困難区域)で維持されていた牛が受けた被ばく量は、推定1520 mGyであった。そのうち、外部被ばく量は約1416 mGy、内部被ばく量は推定104 mGyであった。また、放射性ヨウ素(131I)からの被ばく量は推定85 mGyであった。人において、1 Gy = 1 Svと簡易的に換算すると、日本における一般人の年間平均被ばく量は2.1 mGy (2.1 mSv)、5年間で10.5 mGyである。

これらの被ばく牛の甲状腺を調べたところ、他の一般牧場に飼育されている牛の甲状腺と比較して、重量がやや軽い傾向がみられた。また甲状腺の機能を維持するために必要な安定体のヨウ素127I3の含有量も少ない傾向があることが分かった。一方で病理学的な異常は見つからなかった。

甲状腺機能の指標となる、血中の甲状腺ホルモン(T4)4や甲状腺刺激ホルモン(TSH)の濃度を測定したところ、一般牛と比較して一部の被ばく牛では高いことが分かった。個々の牛を比較したところ、推定される被ばく量と甲状腺の変化には相関が認められなかった。

ただし、一般の牧場で人に管理され豊富な飼料を与えられている牛と、管理区域内の山野で生活している半野生状態の牛では、栄養状態、運動量、自然環境から受ける変化や感染状態など、多くの点での違いがあり、正確に比較することはできない点に留意する必要がある。

事故により不幸にも取り残された牛ではあるが、他の実験動物と比較して寿命が長いことから、10年にわたるモニタリングには適していた。また、牛は除染されていない山野に広がる管理区域において、年間を通して多くの草を食べるため、外部被ばくのみならず内部被ばくの評価も行うことができた。一方で、大動物の管理は多くの労力と費用が必要であり、現地の多くの農家の方や、岩手大学、北里大学の先生方、寄付者の多大なる協力を得て、長期にわたる調査を行うことができた。また、放射性同位体の濃度測定は、東京大学のタンデム加速器研究施設の協力の下に行った。

発表雑誌

雑誌名
Scientific Reports
論文タイトル
The effect of exposure on cattle thyroid after the Fukushima Daiichi nuclear power plant accident
著者
Daiki Horikami,# Naoya Sayama,# Jun Sasaki, Haruka Kusuno, Hiroyuki Matsuzaki, Akane Hayashi, Tatsuro Nakamura, Hiroshi Satoh, Masahiro Natsuhori, Keiji Okada, Nobuhiko Ito, Itaru Sato, and Takahisa Murata.*(#共同筆頭著者 *責任著者)
DOI番号
10.1038/s41598-022-25269-0
論文URL
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC9758204/

問い合わせ先

東京大学大学院農学生命科学研究科 獣医学専攻・獣医薬理学研究室 / 応用動物科学専攻 放射線動物科学教室
准教授 村田 幸久(むらた たかひさ)
Tel:03-5841-7247 or 03-5841-5394
Fax:03-5841-8183
E-mail:amurata<アット>g.ecc.u-tokyo.ac.jp  <アット>を@に変えてください。

用語解説

  • 注1 放射性ヨウ素131(131I)
     不安定で壊れやすいヨウ素であり、半減期(物理学的)は8日。崩壊する際にβ線やγ線を放出する。体内に入るとヨウ素は甲状腺に蓄積されるため、ヨウ素131が体内に吸収されるとしばらくの間被ばくを受けることになる。
  • 注2 放射性セシウム(134Csと137Cs)
     放射性セシウムにはセシウム134とセシウム137の2種類がある。それぞれの半減期(物理学的)2.1年と30年である。つまりセシウム137の半減期は長く、環境汚染が長く続く原因となる。
  • 注3 安定体ヨウ素127(127I)
     安定で壊れにくいヨウ素であり、放射能はない。体内に入ると甲状腺に蓄積される。動物は食べ物や環境からこの安定体ヨウ素を得ている。
  • 注4 甲状腺ホルモン
     体の新陳代謝を調節する機能を持つ。甲状腺ホルモンには、サイロキシン(T4)とトリヨードサイロニン(T3)がある。甲状腺ホルモンは、脳の下垂体から分泌される甲状腺刺激ホルモン(TSH)によって調節されており、甲状腺ホルモンが不足してくるとTSHが増加して甲状腺を刺激する。