塩化物イオンによる味覚受容体感度調節機構の発見
発表のポイント
- 塩化物イオンが、特定の魚類味覚受容体T1R(注1)の感度を直接制御することがわかりました。
- 塩化物イオンが味覚受容体に作用する部位についても同定され、感度調節の分子メカニズムの一端が明らかになりました。
- 口腔内の塩分組成は、生息環境の変化や摂食行動に伴い大きく変動します。この際、特定のT1Rが周辺環境に応じて感度を変化させることで、エサの探索や環境への適応に寄与している可能性があります。
図1:研究成果のイメージ
周辺の塩化物イオン濃度が上昇すると、魚類T1Rの細胞外領域に塩化物イオンが結合することで
アミノ酸に対する感度が上昇し、同じ濃度のアミノ酸でも「よりおいしい」と感じることができる。
発表概要
東京大学大学院農学生命科学研究科の三坂巧准教授らの研究グループは、アミノ酸を受容する一部の魚類味覚受容体のリガンドに対する感度が、塩化物イオンの濃度によって大きく変化することを見出しました。
哺乳類や魚類などの脊椎動物の口腔内において、アミノ酸や糖といった栄養になる物質は、味覚受容体T1Rによって受容されます。T1Rは口腔内の味細胞に局在しており、生物種の生息環境によって唾液・淡水・海水など、様々な塩分組成の液体にさらされています。さらに、動物やプランクトンの体液の塩分組成もそれらの液体とは異なるため、摂食時には口腔内の塩分組成が急激に変化することが考えられます。これまで、塩分組成の変化が塩味以外の基本味を担う味覚受容体に対してどのように影響を与えるのかについては、ほとんど知られていませんでした。
今回、本研究グループは、特定の魚類T1Rのアミノ酸に対する感度が、塩化物イオン濃度依存的に向上することを発見しました。T1Rが塩分濃度の変化を直接認識してその特性を変化させることで、生存により有利になる餌の探索や、環境変化への適応に寄与していることが想定されます。
発表内容
〈研究の背景〉
魚類や哺乳類を含む脊椎動物の生息環境は多様であり、口腔内の塩分組成は唾液・淡水・海水など、種毎に大きな違いがあります。さらに、餌となる生物の体液組成に依存して、摂食時には口腔内の塩濃度が即時に、かつ大幅に変化すると考えられます。
脊椎動物では、糖やアミノ酸といった栄養になる物質は、クラスC のGタンパク質共役型受容体(GPCR)(注2)に属する、味覚受容体T1Rによって受容されます。一方、クラスC GPCRファミリーに属する代謝型グルタミン酸受容体やカルシウム感知受容体においては、その受容体機能が塩化物イオンによって直接制御されるという報告があります。さらに近年、他グループによる研究で、メダカT1Rのタンパク質立体構造中に塩化物イオンの存在が示唆されており、T1Rの機能が口腔内の塩分濃度に応じてなんらかの影響を受けている可能性が考えられました。このような状況にもかかわらず、塩化物イオンがT1Rの機能に与える具体的な影響に関する研究報告は、非常に限られていました。そこで本研究では、T1Rに対する塩化物イオンの作用やそのメカニズムを解明するための研究を行いました。
〈研究の内容〉
研究には、以前に本研究グループで樹立した味覚受容体安定発現細胞を用いました。ヒト甘味受容体または魚類(メダカ、ゼブラフィッシュ)味覚受容体の味物質に対する応答を、高塩化物イオン濃度条件下(141.4 mM)と低塩化物イオン濃度条件下(10 mM)でそれぞれ評価し、比較しました。その結果、mfT1R2a/mfT1R3(注3)及びzfT1R2a/zfT1R3(注4)の味物質(アミノ酸)に対する感度が、低塩化物イオン濃度条件下で顕著に低下することが分かりました。
続いて、塩化物イオンによるこれらT1Rの感度調節機構を明らかにするために、変異体実験を行いました。mfT1R2a/mfT1R3細胞外領域のタンパク質立体構造に基づき、mfT1R3中の塩化物イオン結合部位に変異を導入しましたが、mfT1R2a/mfT1R3感度の塩化物イオン感受性は消失しませんでした。そこで、同じ陰イオンである臭化物イオンの結合が報告されているmfT1R2a中の残基に変異を導入したところ、mfT1R2a/mfT1R3感度の塩化物イオン感受性がほぼ消失し、塩化物イオン感受性における当該部位の重要性が明らかになりました。さらなる変異体実験の結果と、mfT1R2a/mfT1R3の結晶構造情報や、他のクラスC GPCRの知見を組み合わせ、塩化物イオンがmfT1R2a/mfT1R3の感度を向上させるメカニズムを提示しました(図1)。
口腔内の塩分濃度は、それぞれの生物種の生息環境によって大きく異なります。また、摂食行動時には、被食物の体液によって口腔内の塩分濃度が変動することもあります。今回見出されたような、塩化物イオン濃度に依存して感度が変化するT1Rは、生物の環境変化への適応や、生存により適した食べ物を選ぶのに役立っているのではないでしょうか。
発表者
東京大学 大学院農学生命科学研究科
応用生命化学専攻
郷田 竜生(修士課程)
三坂 巧(准教授)
水圏生物科学専攻
渡邊 壮一(准教授)
発表雑誌
- 雑誌
- Scientific Reports
- 題名
- Allosteric modulation of the fish taste receptor type 1 (T1R) family by the extracellular chloride ion
- 著者
- Ryusei Goda, Soichi Watanabe, and Takumi Misaka* (*責任著者)
- DOI
- 10.1038/s41598-023-43700-y
- URL
- https://www.nature.com/articles/s41598-023-43700-y
研究助成
本研究は、科学研究費補助金(課題番号19H02907、22H02282、22K19128)、東洋食品研究所共同研究、旗影会研究助成等の助成により実施されました。
用語解説
- 注1 T1R
Taste receptor type 1。Taste receptor type 1 member 1 (T1R1)とT1R3、またはT1R2/T1R3という2種類のタンパク質の組み合わせで機能し、糖、アミノ酸や核酸など栄養となる味物質の受容を担う。 - 注2 Gタンパク質共役型受容体 (GPCR)
細胞膜を7回貫通する構造を有する、膜タンパク質。味物質、香気成分、光などの外来刺激や神経伝達物質、ホルモンなどを感知し、Gタンパク質と呼ばれるタンパク質を介して細胞内にシグナルを伝達する。 - 注3 mfT1R2a/mfT1R3
メダカ(mf)が持つT1Rの一種。アミノ酸を受容する。 - 注4 zfT1R2a/zfT1R3
ゼブラフィッシュ(zf)が持つT1Rの一種。アミノ酸を受容する。
問い合わせ先
〈研究に関する問合せ〉
東京大学 大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 生物機能開発化学研究室
准教授 三坂 巧(みさか たくみ)
Tel:03-5841-8117 E-mail:amisaka[アット]g.ecc.u-tokyo.ac.jp
※[アット]を@に変えてください。
研究室URL:http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/biofunc/