発表者
悪原 成見  (東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 博士課程(研究当時)/日本学術振興会特別研究員RPD)
Casey Trimmer(Monell Chemical Senses Center(研究当時))
Andreas Keller(Rockefeller University, Research Associate, Laboratory of Neurogenetics and Behavior)
新村 芳人  (東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 特任准教授(研究当時)/
        宮崎大学農学部獣医学科フロンティア科学実験総合センター遺伝資源分野獣医遺伝情報学研究室 教授)
白須 未香  (東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 特任助教)
Joel D Mainland(Monell Chemical Senses Center/Adjunct Associate Professor, Department of Neuroscience, University of Pennsylvania)
東原 和成  (東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 教授)

発表のポイント

  • 様々な香粧品に用いられるムスク香料(注1)のひとつ“ムスコン”という匂い物質を認識するヒト嗅覚受容体(注2)(ムスコン受容体)の様々なムスク香料への応答と、実際の匂い感覚を調べました。
  • ヒトムスコン受容体には遺伝子多型(注3)があり、それによってムスク香料への応答性や実際の匂い感覚が異なることがわかりました。
  • ムスコン受容体遺伝子と染色体上で近い位置にある、β-イオノンというスミレの花の香りの受容体をコードする遺伝子は、ムスコン受容体の遺伝子と連鎖している(連鎖不平衡(注4))ことがわかりました。
  • ムスコンに対する匂い感覚とβ-イオノンに対する匂い感覚もまた相関しており、ある匂いに対する感じ方から別の匂いに対する感じ方を予測できる初めての例になります

発表概要

図1:OR5AN1の遺伝子多型とその応答性
ヒトのムスコン受容体OR5AN1のスネークプロットと遺伝子多型を左上に、これらの受容体の培養細胞系におけるムスコンへの匂い応答結果を左下に示す。L289F変異によって受容体のムスコンへの応答が強くなり、実際の匂い感覚も敏感になる。また、OR5AN1のL289F多型をもつ人は、ヒトのβ-イオノン受容体OR5A1のD183N多型(β-イオノンに対して低感度型)をもつ人が多く、β-イオノンへの感度が弱くなる。 (拡大画像↗)

 私たちは個人によって異なる匂い感覚を持ちます。その理由として、経験や環境だけでなく、匂いを知覚するセンサーである嗅覚受容体(注2)の遺伝子多型(注3)の関与が近年わかってきました。ムスクは古代から香料として用いられており、中にはムスクの香りをかぐことができない、嗅盲(注5)と呼ばれる人がいることが昔から知られています。しかし、ムスクに対する匂い感覚の違いが嗅覚受容体の遺伝子多型によるものなのか、まだ解明されていませんでした。
 東京大学大学院農学生命科学研究科の東原和成教授らの研究グループは、先に同定した、代表的なムスク香料(注1)の一つであるムスコンのヒト受容体OR5AN1が、遺伝子多型によって様々なムスク香料に対する応答性が変化するかを調べました。また、米国モネル研究所、ロックフェラー大学と共同で、ヒトの実際のムスクに対する匂い感覚とOR5AN1の遺伝型との関連を調べました。その結果、ムスコンを含む大環状ムスクと呼ばれるムスク香料に対する応答性が高い遺伝子多型をもつ人ほど、それらの匂い物質を強く感じ、ムスコンの匂いに対して敏感なことがわかりました。さらに、スミレの花の匂いであるβ-イオノンの嗅覚受容体の遺伝子多型と、OR5AN1の遺伝子多型は連鎖不平衡(注4)を起こしており、大環状ムスクを弱く感じる人は、β-イオノンを強く感じることがわかりました。
 本研究の成果は、ムスクという産業的に重要な香りの感じ方が受容体遺伝子多型によって異なるということを明らかにしたとともに、ある匂い物質に対する匂いの感じ方から、別の匂い物質に対する匂いの感じ方を予測できるケースがあることを示しています。

発表内容

 

私たちは、鼻の奥にある嗅覚受容体(注2)というセンサータンパク質が匂い分子と結合することによって、その匂いを感じることができます。しかし、匂い分子の形とその匂いの質の関係については、未だに多くのことがわかっていません。特にムスクは複雑で、様々な化学構造をもつにも関わらず、同じようなムスク香をもつ香料(注1)が多くあります。また、昔からムスクの香りを感知できない、嗅盲(注5)と呼ばれる人の存在がわかっていました。私たちは、どのようにムスクの匂いを感知し、そしてその個人差はどこから来るのでしょうか。
 私たちは過去に、ヒトのムスコン受容体OR5AN1を同定し、培養細胞を用いたアッセイではムスコンに応答する主要なヒト嗅覚受容体はOR5AN1のみであり、OR5AN1もまた、ムスコンを始めとする大環状ムスクや、ニトロムスクと呼ばれるニトロ基をもつムスク香料にのみ応答することを示しました。OR5AN1のこれらのムスク香料に対する応答性は、香料業界で経験的に知られていた様々なムスク香料の匂いの強さとよく一致しており、またOR5AN1のマウスオルソログ(注6)であるムスコン受容体Olfr1440を欠失したマウスでは、ムスコンの感知能力が著しく下がることも示しました。これらの結果は、たった一つの受容体が、哺乳類におけるムスク香の感知に重要な役割を担っている可能性を示唆しています。
 本研究では、1000人ゲノムプロジェクト(注7)からヒトムスコン受容体OR5AN1の遺伝子多型を調べ、培養細胞を用いた実験において、多型によってムスク香料への応答性がどのように変わるかを調べました。その結果、参照配列(注8)に対して一つのアミノ酸変異、289番目のアミノ酸がロイシン(L)からフェニルアラニン(F)に変異した配列をもつL289Fという多型が、ムスコンを含む大環状ムスクに対して参照配列よりも強い応答を示すことがわかりました。一方で、ニトロムスクに対する応答性はほとんど差がなく、多環式ムスクに対してはどの多型も応答しませんでした。
 次に、実際のヒトのムスクの匂い感覚を調べる官能試験を行いました。米国モネル研究所ならびにロックフェラー大学と共同し、500人を超えるニューヨーク在住の被験者に対して、ムスク香料を含む様々な匂い物質の匂い強度と嗜好性(好き嫌い)を調べ、OR5AN1の遺伝型との関連を解析しました。その結果、L289Fの遺伝型を持つ人は、大環状ムスクの匂いを強く感じる傾向にあることがわかりました。一方で、ニトロムスクの匂いの強さには遺伝型による差は見られず、また嗜好性についてはどのムスク香料に対しても関連は見られませんでした。さらにムスコンについては、約50人の日本人被験者に対して感知閾値を調べる官能試験を行ったところ、L289Fをもつ人は、ムスコンに対する感知閾値が低い(敏感である)傾向があることがわかりました。これらの結果から、培養細胞の実験系と同じく、L289Fの多型は大環状ムスクを感知しやすいことが示されました。
 ムスコン受容体遺伝子OR5AN1と同じ染色体の近傍には、OR5A1という嗅覚受容体遺伝子があります。これは、β-イオノンというスミレの花の香りをもつ匂い物質の受容体であり、一つのアミノ酸変異D183Nによりβ-イオノンに対する感度が著しく低下し、β-イオノンを含む食品の嗜好性にまで影響を及ぼすことがわかっていました。連鎖不平衡解析(注4)から、OR5AN1のL289F多型をもつ人は、OR5A1のD183Nを持つことが多いことがわかりました。つまり、大環状ムスクに敏感な人はβ-イオノンに鈍く、逆に大環状ムスクに鈍い人はβ-イオノンに敏感であると予想されます。実際に、約50人の日本人に対してβ-イオノンの匂いの強さを評定してもらい、OR5AN1OR5A1の遺伝子多型を調べたところ、OR5A1のD183Nだけでなく、OR5AN1のL289Fをもつ人ほどβ-イオノンの匂いを弱く感じることがわかりました。これは、嗅覚受容体遺伝子間の連鎖不平衡により、ある匂いに対する感度から、別の匂いに対する感度が予測できることを示しています。
 本研究により、ヒトOR5AN1は、大環状ムスクやニトロムスクの感知に重要な受容体であり、その遺伝子多型によって培養細胞を用いた実験系では応答性が変化し、実際の匂い感覚にも影響を及ぼすことがわかりました。また、OR5AN1の高感度型多型であるL289Fと、OR5A1の低感度型多型のD183Nはリンクしており、ある匂い物質の感度から別の匂い物質の感度を予測しうることがわかりました。ここから、ヒトの匂い感覚は個人差があるとはいえ、このような連鎖不平衡によってある程度パターン化しているのではないかと予想され、匂いのオーダーメイドといった応用にも期待されます。

発表雑誌

雑誌名
Chemical Senses
論文タイトル
Genetic variation in the human olfactory receptor OR5AN1 associates with the perception of musks
著者
Narumi Sato-Akuhara, Casey Trimmer, Andreas Keller, Yoshihito Niimura, Mika Shirasu, Joel D Mainland, Kazushige Touhara
DOI番号
10.1093/chemse/bjac037

問い合わせ先

東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 生物化学研究室
教授 東原 和成
Tel: 03-5841-5109、Fax: 03-5841-8024
E-mail: ktouhara<アット>g.ecc.u-tokyo.ac.jp
特任助教 白須 未香
Tel: 03-5841-5109、Fax: 03-5841-8024
E-mail:ashirasu<アット>g.ecc.u-tokyo.ac.jp  <アット>を@に変えてください。

用語解説

  • 注1 ムスク香料
     “ムスク”(musk)と呼ばれる、“温かみのある”(warm)、“動物的な”(animalic)、“官能的な”(sensual)といった匂いの質をもつ香料の総称。その化学構造は多岐に渡り、10個以上の原子からなる環状構造をもつ大環状ムスク、ベンゼン環に複数のニトロ基をもつニトロムスク、複数の環状構造が連なる多環式ムスク、鎖状構造をもつ脂環式ムスクなどのカテゴリーがある。中でも自然界に存在する天然ムスク香料の代表として、ムスコン(muscone)という化合物がある。ムスコンは15員環の大環状ケトンの一つで、ジャコウジカ(麝香鹿、Moschus moschiferus)の成熟雄の臭腺から分泌される。組成式はC16H30O。ムスク(麝香)は元々ジャコウジカが分泌する匂いのことを指しており、1906年に単離された際にムスコンと名付けられた 。その魅惑的な香りから需要が絶えないが、ジャコウジカは現在保護動物のため天然ものは非常に希少であり、また、合成も多工程に渡り容易ではない。
  • 注2 嗅覚受容体
     匂い物質を感知する受容体タンパク質であり、7回膜貫通型Gタンパク質共役型受容体の一つ。嗅粘膜にある嗅上皮に存在する嗅神経細胞に発現しており、嗅粘液に溶けた匂い物質を受容する。匂い分子が嗅覚受容体と結合すると、共役したGタンパク質の働きにより嗅神経細胞が電気的に興奮する。
  • 注3 遺伝子多型
     生物の集団内では、同じ遺伝子であっても複数の対立遺伝子が存在する(多型)。多型によって、遺伝的ないわゆる“個人差”が生じる。特に、遺伝子情報をもつDNA配列(塩基配列)に、一塩基が変異した多型が見られるものを一塩基多型(SNP, single nucleotide polymorphism)と呼ぶ。SNPの中には、表現型(観察可能な特徴や形質)にまで影響を及ぼすものもあり、今回明らかとなったヒトムスコン受容体OR5AN1の多型・L289Fもこれであり、同じ遺伝子(OR5AN1)のSNP(L289F)が、大環状ムスクに対する匂い感覚(表現型)に影響を及ぼしている。
  • 注4 連鎖不平衡
      複数の対立遺伝子について、特定の組み合わせの頻度が有意に高くなる現象のこと。例えば、ある二つの遺伝子ABについて、それぞれ対立遺伝子A, aとB, bがあるとする。この二つの遺伝子が完全に独立、すなわち連鎖不平衡が全く無い場合は、AB、Ab、aB、abのどの組み合わせもほぼ同じ頻度で出現する。一方で、例えばABおよびabのみが高頻度で見られる場合は、多型aとbの間に連鎖不平衡が存在していると考えられる。
  • 注5 嗅盲(anosmia)
     嗅覚障害の一つで、匂いが全くわからない無嗅覚症のことをいう。ほとんどの匂いは認識できるにも関わらず、ある特定の匂いのみを嗅ぐことができないことを特異的嗅盲(specific anosmia)といい、単に嗅盲と言えば特異的嗅盲のことをいう場合も多い。ここでは、ムスクの香りの特異的嗅盲のことを指している。
  • 注6 オルソログ(orthologue)
     異なる生物種において、共通の祖先遺伝子から種が分かれるのに伴い派生した遺伝子どうしの関係、もしくはそのような関係にある遺伝子どうしのこと。
  • 注7 1000人ゲノムプロジェクト
      2008年に始まった国際研究協力の一つで、世界の様々な民族集団1000人以上のヒトゲノムを解読し、遺伝的多様性に関する詳細なカタログを確立している。2021年時点で2500人を超えるヒトのゲノム情報が利用可能である。これらの情報を用いることで、医学だけでなく様々な生物学分野の発展に寄与すると期待される。 https://www.internationalgenome.org
  • 注8 参照配列
     ヒトゲノムプロジェクトによって最初に決定されたヒトゲノム配列。データベース上に基準配列として掲載されている。参照配列が、必ずしも高頻度で出現していたり、機能しているとは限らない。