発表のポイント

  • 熱帯雨林と大気との間でやり取りされる二酸化炭素と水蒸気は、地球規模の炭素収支と水循環に重大な意味を持ちます。ボルネオ熱帯雨林の二酸化炭素吸収の年々変動は、エル・ニーニョ南方振動(ENSO)に影響されていると考えられてきましたが、そのメカニズムはおろか、本当にそうなのかさえ分かっていませんでした。
  • いくつかのENSOイベント(エル・ニーニョとラ・ニーニャ)を含む10年間のフィールド観測と観測データに基づくシミュレーションモデルにより、森林単位の二酸化炭素吸収速度がラ・ニーニャ時で大きくなりエル・ニーニョ時で小さくなること、そしてそれは、光合成能力(カルビン・ベンソン回路の最大炭酸固定反応速度)がラ・ニーニャ時で大きくなりエル・ニーニョ時で小さくなることが原因であると明らかになりました。
  • 今回の知見は、東南アジアの熱帯雨林が長期的にどのように炭素を蓄積してきたのかを理解し、未来の東南アジア熱帯雨林だけでなく地球規模の炭素収支の予測に役立ちます。

発表内容

 東京大学大学院農学生命科学研究科の熊谷朝臣教授、羽田泰彬特任研究員、高村直也大学院生は、琉球大学の松本一穂准教授、九州大学の久米朋宣教授、大阪公立大学の植山雅仁准教授と共同で、ボルネオ熱帯雨林において、いくつかのエル・ニーニョとラ・ニーニャ(注1、図1)を含む10年間のフィールド観測と観測データに基づくコンピュータシミュレーションを行い、森林単位の二酸化炭素吸収速度がラ・ニーニャ時で大きくなりエル・ニーニョ時で小さくなること、そしてそれは、光合成能力(カルビン・ベンソン回路の最大炭酸固定反応速度(注2、図1))がラ・ニーニャ時で大きくなりエル・ニーニョ時で小さくなることが原因であると突き止めました。

図1:研究成果のイメージ
エル・ニーニョとラ・ニーニャで、気象条件が変わることがボルネオ熱帯雨林の光合成を変える主要因だと思われてきましたが、Rubiscoの能力が変わることの方が遥かに大きな要因でした。

 熱帯雨林生態系は、地球規模の気候・水循環や炭素循環に大きな影響を与える二酸化炭素(CO2)と水蒸気(H2O)の流れを作り出します。森林生態系は、樹冠(注3)と大気との間で、光合成、呼吸、蒸発散(注4)を通じてCO2とH2Oをやり取りします。このようなCO2・H2Oフラックス(注5)は気象条件や植物生理学的要因の季節や年々変化に支配されます。
 東南アジア・ボルネオ熱帯雨林は、年間を通じてほとんど一定の大きな太陽放射、多雨、高温多湿の世界的にも特徴的なバイオームです。そこでは、やはり年間を通じてほとんど一定の、大きなCO2・H2Oフラックスが生じます。しかし、エル・ニーニョ南方振動(ENSO、注1参照)のエル・ニーニョとラ・ニーニャは、それぞれ、東南アジア熱帯地域で高温乾燥条件と低温湿潤条件を引き起こします。つまり、東南アジア熱帯雨林のCO2・H2Oフラックスは、季節という年内変動ではなくENSOという年々変動に強く支配されるのかもしれません。また、気候モデルによる未来シミュレーションでは、地球温暖化に対応して、エル・ニーニョやラ・ニーニャの強度・頻度が増加して、東南アジア熱帯域では深刻な干ばつや壊滅的な洪水を引き起こす可能性が高くなることを予測しています。地球規模で熱帯雨林は、大きなCO2・H2Oフラックスを通じた高い気候緩和機能を持ちますので、東南アジア熱帯雨林におけるCO2・H2OフラックスとENSOとの関係を明らかにした上で、将来の水・炭素循環を考えなければなりません。しかしながら、長期的かつ大規模な現地観測が行われてはじめて、エル・ニーニョ、ラ・ニーニャ時だけでなく平年時のCO2・H2Oフラックスの実態が明らかになるものですが、東南アジア熱帯雨林においては、データが絶対的に不足していました。これが本研究の出発点でした。
 ENSOと熱帯林のCO2・H2Oフラックスとの関係を調べてきたこれまでの研究は、多くが衛星観測データとモデルシミュレーションの組み合わせに拠るものであり、フラックス観測タワーと渦相関法(注6、図2)のようなCO2・H2Oフラックスの現地直接観測に拠るものは少なく、あっても、エル・ニーニョやラ・ニーニャを含むことができるような長期観測は無いに等しいと言えました。また、アマゾン熱帯雨林における研究から、エル・ニーニョ時、少雨乾燥条件は確かに気孔を閉じ気味にするが、同時に、強太陽放射条件が光合成反応速度を高めることでCO2吸収に相殺が起こり、結果的にエル・ニーニョ時と平年時のCO2フラックスは違いが無いか、かえってエル・ニーニョ時の方が大きくなるのではないかという予想がありました。しかし、これは、限られた観測データに基づく想像に過ぎません。エル・ニーニョ、ラ・ニーニャ時に熱帯雨林のCO2・H2Oフラックスがどのような挙動を示すのか、ましてや、そのメカニズムは、ずっと謎のままでした。

図2:本研究の熱帯雨林観測サイト
(a)マレーシア(ボルネオ島)、サラワク州にあるランビルヒルズ国立公園。
(b)フラックス観測に利用された90m高クレーン。
(c)渦相関フラックス計測センサー。

 本研究では、マレーシア、サラワク州のランビルヒルズ国立公園の天然熱帯雨林において、いくつかのエル・ニーニョとラ・ニーニャを含む10年間(2010-2019年)に及ぶ渦相関フラックス観測が行われました(図2)。観測データとしての太陽放射、気温などの気象因子や生態系の生産力を示す純CO2吸収速度など、そして、光合成などに関係する植物生理学を反映するシミュレーションモデルを用いて算出した気孔開度やRubiscoの最大能力(カルビン・ベンソン回路の最大炭酸固定反応速度)などの生理学的因子を、ラ・ニーニャ、中立、エル・ニーニョの各条件別に区分し比較しました(図1)。結果は、このボルネオ熱帯雨林のCO2吸収速度、つまり森林生産力は、ラ・ニーニャ時で大きくなり、エル・ニーニョ時で小さくなることが分かりました(図3)。そして、それは、気象因子の影響と言うよりも、Rubiscoの最大能力という生理学的因子がラ・ニーニャ時で大きくなり、エル・ニーニョ時で小さくなるからではないかと予想されました(図3)。

図3:ボルネオ熱帯雨林のラ・ニーニャ、中立、エル・ニーニョ条件下での森林生産力(純CO2吸収速度)とRubiscoの最大能力(最大炭酸固定反応速度)

 次に、機械学習を用いた解析で、様々な気象因子と生理学的因子を含む合計9つの制御因子の内、どれがCO2・H2Oフラックスを決めているのかを調べました。結果は、ラ・ニーニャ時と中立条件では、CO2フラックスはRubiscoの最大能力、H2Oフラックスは太陽放射が決めていましたが、エル・ニーニョ時では、CO2・H2Oフラックスともに気孔開度が一番の決定要因でした。そして、この結果を踏まえて、気孔開閉-光合成反応を組み合わせた数理モデルの解析により、なぜこんなにもCO2吸収速度がラ・ニーニャ時から中立条件、エル・ニーニョ時で低下していくのかを調べました。アマゾン熱帯雨林の先行研究と同様に、確かに、エル・ニーニョでは、少雨傾向もそれほど深刻ではなく、その強い太陽放射が光合成速度を高める方向に働いていました。一方で、それを打ち消すほどのRubiscoの最大能力の低下が起きていて、結果としてエル・ニーニョ時のCO2吸収速度の低下が起きているということが突き止められたのです。 森林の巨大なCO2吸収・貯留能力は温暖化進行を止める切り札だと考えられます。この森林の現在・未来の能力を考えるのに有効な方法が地球システムモデル(注7)によるシミュレーションです。しかし、この地球システムモデル含まれる陸上生態系モデルで、本研究成果で明らかになったような生理学的因子の時間変化を考慮したものは皆無です。本研究は、少なくとも、東南アジア熱帯雨林の長期的な炭素循環を評価するためには、Rubiscoの最大能力という生理学的因子のENSOに伴う変化を考慮することが必要不可欠であることを示しました。また、ラ・ニーニャやエル・ニーニョはどちらも数日から2年の期間を持って、2年から7年毎に発生するものです。このことは、10年単位の長期かつ精緻な観測が無ければ、本研究の発見はあり得なかったということを意味します。未来の地球環境の予測のために、さらなる長期・広域の渦相関フラックス観測ネットワークが必要であると強調します。

〈関連のプレスリリース〉
「スギ林は30分ごとに、しかも1年で、どんだけ二酸化炭素を吸ってるのか」(2023/03/09)
https://www.a.u-tokyo.ac.jp/topics/topics_20230309-1.html

発表者

東京大学大学院農学生命科学研究科森林科学専攻
    熊谷 朝臣(教授)<名古屋大学宇宙地球環境研究所(客員教授)
    羽田 泰彬(特任研究員)
    高村 直也(修士課程)

九州大学大学院農学研究院森林環境科学講座
    久米 朋宣(教授)

琉球大学農学部亜熱帯農林環境科学科
    松本 一穂(准教授)

大阪公立大学大学院農学研究科緑地環境科学専攻
    植山 雅仁(准教授)

発表雑誌

雑誌
Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America(オンライン版:10月10日)
題名
El Niño-Southern Oscillation forcing on carbon and water cycling in a Bornean tropical rainforest
著者
Naoya Takamura†, Yoshiaki Hata†, Kazuho Matsumoto, Tomonori Kume, Masahito Ueyama, Tomo’omi Kumagai*
†同等貢献、*責任著者
DOI
10.1073/pnas.2301596120
URL
https://www.pnas.org/doi/10.1073/pnas.2301596120

研究助成

 本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業(CREST)「熱帯林の林冠における生態圏―気圏相互作用のメカニズムの解明」、同じく、JST・CREST「熱帯モンスーンアジアにおける降水変動が熱帯林の水循環・生態系に与える影響」、文部科学省グローバルCOEプログラム「自然共生社会を拓くアジア保全生態学」、文部科学省気候変動リスク情報創生プログラム「北東ユーラシア・東南アジア熱帯における気候・生態系相互作用の解明と気候変動に対する生態系影響評価研究」、学術変革領域研究 A 計画研究「東ユーラシア低~高緯度域を縦断した大気-森林生態系の物質交換機能解明」(21H05316)などのもとで実施されました。

用語解説

  • 注1 エル・ニーニョとラ・ニーニャ
     南米沖の冷水の湧昇が平年より弱く、暖水面域が太平洋西側に広がる状況をエル・ニーニョ、この逆で、南米沖の冷水の湧昇が平年より強く、暖水面域が太平洋東側に寄っている状況をラ・ニーニャと呼ぶ。エル・ニーニョ時は、海面からの蒸発が活発な領域が太平洋中央辺りに移動するため、東南アジア域では少雨・低湿度になりやすい。これは、エル・ニーニョ時は平年に比べ、雲が少ないため太陽放射が強くなり、高温にもなりやすいことをも意味する。ラ・ニーニャ時は、蒸発が活発な領域が東南アジア島嶼域に寄るため、多雨・高湿度、また太陽放射も弱くなり低温になりやすい。エル・ニーニョとラ・ニーニャの一連の変動現象をエル・ニーニョ南方振動(ENSO)と呼ぶ。
  • 注2 カルビン・ベンソン回路の最大炭酸固定反応速度
     カルビン・ベンソン回路においてCO2固定に関与する酵素が、リブロース-1,5-ビスリン酸カルボキシラーゼ/オキシゲナーゼ(Rubisco、図1参照)である。よってカルビン・ベンソン回路の最大炭酸固定反応速度とは、Rubiscoの最大能力を意味し、対象とする植物の最大光合成能力の指標ともなる。
  • 注3 樹冠
     森林上部を形作る葉と枝の集まり。
  • 注4 蒸発散
     樹冠で遮断された雨水が大気へ蒸発することを遮断蒸発、土壌水分が根から吸水され幹内部を通り葉に至って葉の気孔から蒸発することを蒸散という。遮断蒸発と蒸散を総じて蒸発散と呼ぶ。
  • 注5 フラックス
     一般に単位面積当たり・単位時間当たりの物質移動量を意味する。例えば、面積m2当たり・毎秒の二酸化炭素物質量µmolの移動速度µmol/m2/秒は最も一般的なCO2フラックスの表現である。
  • 注6 渦相関法
     森林上空を流れる風は3次元的に様々なサイズの渦を含む。これらの渦の内、熱・H2O・CO2を含む空気の垂直方向成分の動きを捉え、樹冠-大気間でやり取りされる熱・H2O・CO2フラックスを計測する方法。
  • 注7 地球システムモデル
     地球全体の気候・陸域・海洋の相互作用やフィードバックをシミュレートし、温暖化進行による気候変化のような未来の地球の姿を予測するために用いられる。植生と大気間のCO2・H2Oフラックスをはじめとする土壌-植生-大気間の熱やCO2等の物質のやり取りを計算する陸上生態系モデルは地球システムモデルの重要な部品である。

問い合わせ先

〈研究に関する問合せ〉
東京大学大学院農学生命科学研究科森林科学専攻 森林生物地球科学研究室
教授 熊谷 朝臣(くまがい ともおみ)
Tel:03-5841-8226 E-mail:kumag[アット]g.ecc.u-tokyo.ac.jp

〈報道に関する問合せ〉
東京大学大学院農学生命科学研究科・農学部
事務部 総務課総務チーム 総務・広報情報担当(広報情報担当)
Tel: 03-5841-8179, 5484  FAX:03-5841-5028
E-mail: koho.a[アット]gs.mail.u-tokyo.ac.jp
※[アット]を@に変えてください。

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