IGF-Iシグナルダイナミクスが筋芽細胞の運命を決定する ――IGF-I濃度がシグナル安定性の分岐パラメーターであることを証明――
発表のポイント
- L6筋芽細胞において、ある一定のIGF-I濃度を境に、IGF-Iシグナルが振動するか、安定するかが決定され、IGF-I濃度がIGF-Iシグナル安定性の分岐パラメーターであることを数理解析と細胞実験的解析の両面から証明しました。
- IGF-Iシグナルが振動している時に筋管細胞への分化が促進される一方、IGF-Iシグナルが一定で安定している時は筋芽細胞の分化は抑制されるが増殖は亢進しており、IGF-Iシグナルダイナミクスの違いが細胞の運命決定を担っていることを明らかにしました。
- 構築したIGF-Iシグナルの数理モデルを参照することで、骨格筋の筋分化を人為的に制御することが可能となります。
発表内容
東京大学大学院農学生命科学研究科の伯野史彦准教授と研究員の沖野良輔博士・大学院生の向井一晃氏・小栗舜平氏らの研究グループは、インスリン様成長因子(IGF-I)(注1)のシグナルダイナミクスが筋芽細胞が増殖するか分化するかの運命決定に重要な役割を果たしていることを数理解析と実験的解析の両面から証明しました。
IGF-Iは、細胞の増殖や分化など、細胞の運命を決定する長期的な活性を媒介するホルモンです。L6筋芽細胞では、低濃度のIGF-I存在下では筋分化が進行しますが、高濃度のIGF-I存在下では増殖が亢進して筋分化が阻害されます。これは古くから知られていた現象ですが、その詳細なメカニズムについては明らかにされていませんでした。今回著者らは、数理解析および実験的解析から、低濃度のIGF-IではIGF-Iシグナルは振動するが、高濃度のIGF-IではIGF-Iシグナルが一定で安定していることを明らかにしました。振動と安定の境である分岐点のIGF-I濃度が数理解析と実験的解析とで一致していたため、IGF-Iの濃度がシグナル安定性の分岐パラメータであることが予想されました。さらに、振動と安定の分岐点の前後のIGF-I濃度下でL6細胞の筋分化を誘導すると、IGF-Iシグナルが振動する濃度でのみ筋分化が促進したことから、IGF-Iシグナルダイナミクスの違いが細胞運命を決定していると考えられました。
申請者らはこれまで、IGF-I受容体の主要な基質であるインスリン受容体基質(IRS)-1(注3)の発現量の高い細胞がIRS-1の発現量の低い細胞に囲まれると、発現量の高い細胞が敗者として排除される「細胞競合」(注2)という現象が誘導されることを示してきました(Okino et al. Front. Endocri.)。この現象を考慮したセルオートマトンシミュレーションを行うと、初めは隣り合う細胞同士で位相がずれてIRS-1のタンパク量が振動していますが、細胞競合によって敗者細胞が排除されると、徐々に位相の揃った細胞群が生み出されることが予想されました。このような細胞間におけるIGF-Iシグナルの振動位相の同期化は、L6筋芽細胞を用いた免疫蛍光染色によって確認されました。さらに、細胞競合を阻害するとIRS-1タンパク量の振動位相の同期化が抑制されると同時に、多核の筋管細胞の形成(注4)が抑制されました。この結果は、IRS-1タンパク量の振動の同期化は多核筋管を形成するための筋芽細胞の融合に必須であることを示しています。
このような、細胞競合によるIGF-Iシグナルの振動の同期化には、細胞外から刺激が必要なく、さらに、限られた範囲のIGF-I濃度の時にのみ筋芽細胞の融合を可能にする極めて優秀な細胞自律システムである考えられます。
図1. 筋分化過程におけるIGFシグナルの振動位相の同期化メカニズム
論文情報
- 雑誌
- Scientific Reports
- 題名
- IGF-I concentration determines cell fate by converting signaling dynamics as a bifurcation parameter in L6 myoblasts
- 著者
- Ryosuke Okino, Kazuaki Mukai, Shunpei Oguri, Masato Masuda, Satoshi Watanabe, Yosuke Yoneyama, Sumine Nagaosa, Takafumi Miyamoto, Atsushi Mochizuki, Shin-Ichiro Takahashi, Fumihiko Hakuno*
- DOI
- 10.1038/s41598-024-71739-y
- URL
- https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC11377782/
研究助成
本研究は、科研費(課題番号:22H02528、24380152、15H04583、22248030、25221204)、拠点形成事業(JPJSCCA20210007)などの多くの研究費の支援により実施されました。
用語解説
- 注1 インスリン様成長因子(IGF-I)
インスリンと構造がよく似た同化ホルモンで、動物の成長や発達、成熟などを制御し、細胞の増殖や分化、細胞死を誘導する活性を有することが知られている。 - 注2 細胞競合
細胞集団で適応度の異なる細胞が共存すると、適応度の高い細胞が勝者として生き残り、適応度の低い細胞が敗者として細胞集団から排除される機構。細胞の分化、がん細胞の除去などさまざまな現象に関わっていることが明らかになりつつある。 - 注3 インスリン受容体基質(IRS)
インスリンやIGF-I受容体の主要な基質。インスリンやIGF-Iによって活性化された受容体チロシンキナーゼによってチロシンリン酸化され、下流にシグナルを伝達するインスリン/IGFシグナルの仲介分子であると考えられている。筆者らは、この分子には、受容体の内在化を抑制する活性や、さまざまなホルモンを細胞外に分泌する活性を有することを近年明らかにしている。 - 注4 筋芽細胞から筋管細胞への分化
骨格筋の幹細胞である筋衛星細胞から活性化された筋芽細胞は、細胞融合を経て多核の筋管細胞に分化することが知られている。本研究では、ラット筋芽細胞を用いて筋菅細胞への分化過程の解析を行なっている。
問い合わせ先
東京大学大学院農学生命科学研究科 応用動物科学専攻 動物細胞制御学研究室
准教授 伯野 史彦(はくの ふみひこ)
Tel:03-5841-1310 (ex: 21310)
E-mail:hakuno[at]g.ecc.u-tokyo.ac.jp
※上記の[at]は@に置き換えてください。