グラム陰性細菌の鉄取込み阻害による静菌-クエン酸鉄結合タンパク質FecBのリガンド結合様式解明と阻害剤同定
発表のポイント
- グラム陰性細菌であるビブリオ菌のペリプラズムに存在するクエン酸鉄結合タンパク質FecBの構造と機能を解析し、その重要性を明らかにしました。
- FecBタンパク質の立体構造を、アポ体・クエン酸結合型・クエン酸鉄結合型の3状態について、原子レベルで解明しました。
- FecBの立体構造情報を基に、in silico化合物探索を行い、抗菌剤候補分子を絞り込みました。
- 抗菌剤候補分子のうち、サルビアノール酸Cが実際にビブリオ菌の増殖を抑制することを実験で確認しました。
- 鉄取込みを標的とする新しい抗菌戦略の可能性を示しました。
概要
細菌感染症は世界中で深刻な健康問題となっており、抗生物質の過度な使用により多剤耐性菌が出現し、既存の治療法の効果が低下しています。このため、新たな予防・治療戦略の開発が急務となっています。本研究では、細菌の増殖に不可欠な鉄の取込みシステムに着目し、ビブリオ属細菌の鉄取込みABC輸送体(注1)の構成要素の1つであるFecBタンパク質の構造と機能を詳細に解析しました。ビブリオ属細菌は、環境中のクエン酸鉄(注2)を外膜タンパク質FecAでペリプラズムに取込み、次にペリプラズムタンパク質のFecBがクエン酸鉄を捕捉して内膜タンパク質FecC・FecD・FecE複合体に渡し、その後、この複合体がクエン酸鉄を細胞質内に運びます。本研究では、X線結晶構造解析(注3)により、FecBがクエン酸鉄を認識して結合する仕組みを原子レベルで明らかにしました。この立体構造情報を基に、in silico阻害剤スクリーニング(注4)を行い、FecBのクエン酸鉄結合を阻害する可能性のある化合物を複数提案しました。その後、候補化合物の効果を検証した結果、天然由来の化合物であるサルビアノール酸CがFecBのクエン酸鉄結合を効果的に阻害し、ビブリオ属細菌の増殖を抑制することを見出しました。本研究は、細菌の鉄取込みシステムを標的とする新たな抗菌戦略の可能性を示しています。この成果は、既存の抗生物質に代わる新しい予防・治療法の開発につながる可能性があり、多剤耐性菌の問題に対する革新的な手法を提供します。今後は、他の細菌種への応用や、より効果的な阻害剤の開発に向けた研究が期待されます。
発表内容
研究の背景
細菌感染症は世界中で深刻な健康問題となっており、新たな予防・治療戦略の開発が急務です。特に問題となっているのは、抗生物質の過度な使用により出現した多剤耐性菌です。これらの耐性菌は既存の抗生物質に対する感受性が低下しており、治療が困難となっています。こうした状況下で、細菌の生存に不可欠な鉄の取込みシステムが注目されています。鉄は細菌の増殖や病原性に重要な役割を果たしており、この鉄取込みを阻害することで細菌の増殖を抑制できる可能性があります(図1)。特に、グラム陰性菌の鉄取込みシステムは、外膜輸送体、ペリプラズム鉄結合タンパク質、内膜輸送から構成される複雑な機構を持っています(図2)。
図1:本研究の概念図
ビブリオ属細菌は、鉄取込みの経路の一つとしてクエン酸鉄を取込むシステムを有します。サルビアノール酸Cは、そのシステムの一員であるペリプラズムタンパク質FecBがクエン酸鉄に結合するのを阻害することで、結果としてビブリオ属細菌の増殖を抑制する効果を有することが示されました。
図2:Fecシステムにおけるクエン酸鉄の取込みの模式図
橙色の丸は鉄(Ⅲ)イオンを、それに結合している灰色のハサミ型丸は配位結合しているクエン酸を表します。
クエン酸鉄は、外膜(OM)の輸送体(FecA)を透過し、ペリプラズムでFecBにより認識され結合した後に、内膜(IM)の輸送体(FecC・FecD・FecE複合体)に渡されて内膜を透過し、細胞質に運ばれた後に、鉄(Ⅲ)イオンは鉄(Ⅱ)イオンに還元され、クエン酸から解離すると考えられています。
本研究では、ビブリオ属細菌のペリプラズム結合タンパク質であるFecBに着目しました。FecBは鉄とクエン酸の複合体を結合し、細胞内への輸送を担う重要なタンパク質です。しかし、その詳細な構造や機能、さらには阻害剤の開発における可能性については、未解明な点が多く残されていました。
研究の内容
東京大学の永田宏次らの研究グループはFecBタンパク質の生理的役割を調べるため、重篤な創傷感染症を引き起こすVibrio alginolyticusのfecB遺伝子を欠損させた変異株を作製しました。その結果、fecB欠損株は増殖が著しく阻害され、バイオフィルム形成能も低下することが明らかになりました。これにより、FecBが細菌の増殖と病原性に重要な役割を果たしていることが確認されました。次に、X線結晶構造解析を用いてFecBタンパク質の立体構造を決定しました(図3)。
図3:アポ体FecB、クエン酸結合型FecB、クエン酸鉄結合型FecBの結晶構造
クエン酸結合型ではクエン酸1分子が、クエン酸鉄結合型ではクエン酸2分子と1個の鉄(Ⅲ)イオンがFecBタンパク質に結合しています。
この2つの状態においてクエン酸のFecBへの結合の仕方が異なっているのも興味深い点です。
その結果、FecBが1個の鉄(Ⅲ)イオンと2個のクエン酸分子からなる複合体を認識して結合するしくみを原子レベルで明らかにしました。さらに、部位特異的変異導入実験により、クエン酸鉄の認識に重要なアミノ酸残基を特定しました。この立体構造情報を基に、コンピューターを用いた大規模スクリーニングを行い、FecBの機能を阻害する可能性のある化合物を探索しました。約2700種類の天然化合物ライブラリーから、FecBと強く結合する可能性のある候補化合物を選別しました。選別された化合物の中から、サルビアノール酸Cという天然由来の化合物が、FecBの機能を効果的に阻害し、V. alginolyticusの成長を抑制することを発見しました。さらに、分子ドッキングシミュレーションにより、サルビアノール酸CがFecBタンパク質と相互作用するしくみを提唱しました(図4)。
図4:サルビアノール酸C(salvianolic C)とFecBとのドッキングモデル
サルビアノール酸CがFecBのクエン酸鉄結合部位に結合し、競合阻害剤として機能する様子を可視化しました。
これはあくまで計算科学による予測です。
今後の展望
本研究は、細菌の鉄取込みシステムを標的とする新しい抗菌戦略の可能性を示すものです。特に、ペリプラズム結合タンパク質を標的とすることで、既存の抗生物質とは異なるメカニズムで細菌の増殖を抑制できる可能性があり、多剤耐性菌を含む様々な細菌感染症に対する新たな治療法の開発につながることが期待されます。鉄取込みシステムを標的とする戦略は、抗生物質耐性の問題に対する革新的な解決策となる可能性があります。
発表者
江 錦燕 (東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 博士課程)
奧田 傑 (東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 准教授)
伊藤 英晃 (東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 特任研究員)
岡本 研 (東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 特任研究員)
中西 啓仁(東京大学大学院農学生命科学研究科 農学国際専攻 准教授)
鈴木 道生 (東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 教授)
陸 鵬 (東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 助教(当時)、農学共同研究員)
永田 宏次(東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 教授)
論文情報
- 雑誌
- Angewandte Chemie International Edition
- 題名
- Structure-Guided Discovery of a Potent Inhibitor of the Ferric Citrate Binding Protein FecB in Vibrio Bacteria
- 著者
- Jinyan Jiang, Suguru Okuda, Hideaki Itoh, Ken Okamoto, Hiromi Nakanishi, Michio Suzuki, Peng Lu, Koji Nagata
- DOI
- 10.1002/anie.202411688
- URL
- https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/anie.202411688
研究助成
本研究は、日本学術振興会科学研究費助成事業(課題番号: JP19H05771, JP20K22561)、科学技術振興機構 次世代研究者挑戦的研究プログラム(SPRING)(課題番号: JPMJSP2108)、日本科学協会笹川科学研究助成(2023-4016)、および東洋水産財団科学研究助成(2024)の支援により実施されました。また、SPring-8(大阪大学蛋白質研究所の共同利用研究。課題番号: 2022A6721, 2022B6721, 2023A6821, 2023B6821)および高エネルギー加速器研究機構フォトンファクトリー(課題番号: 2022G031)のビームラインを利用してX線回折実験を行いました。
用語解説
- 注1 ABC輸送体
ABC輸送体は、ABCトランスポーター (ABC transporters)。ATP結合カセット輸送体 (ATP-binding cassette transporters) の略称。ATPのエネルギーを用いて物質の輸送を行う膜輸送体の一群である。構造的特徴を共有する非常に大きなタンパク質スーパーファミリーをなし、現生のすべての生物に存在する。 ABC輸送体(ATP-binding cassette transporter)は、細胞の表面にある輸送体膜タンパク質です。細胞内外の「運び屋」として働き、栄養素や薬物などの物質を細胞内に取込んだり、排出したりします。エネルギー源としてATPを使用するのが特徴です。細菌の生存や人間の体内での物質輸送に重要な役割を果たしており、がん細胞の薬剤耐性にも関わっています。生命活動を支える細胞レベルの「物流システム」と言えます。 - 注2 クエン酸鉄
クエン酸鉄は、鉄とクエン酸が結合した化合物です。体内での鉄分補給に適しており、貧血治療にも使われます。細菌にとっても鉄は重要な栄養素で、多くの細菌はシデロフォアと呼ばれる物質を分泌して環境中の鉄を捕捉します。クエン酸はこのシデロフォアの一種として機能し、細菌が鉄を取込む際に利用されます。そのため、クエン酸鉄は細菌の鉄取込みメカニズムを研究する上で重要な物質となっています。 - 注3 X線結晶構造解析
X線結晶構造解析は、タンパク質などの分子の立体構造を原子レベルで調べる方法です。まず、対象となる分子の結晶を作ります。この結晶にX線を当てると、分子の構造に応じて特定のパターンで散乱します。このパターン(回折像)を解析することで、分子の詳細な立体構造を明らかにできます。創薬や生命科学の研究に欠かせない技術で、分子の働きを理解したり、新しい薬を設計したりする際に重要な情報を提供します。 - 注4 in silico阻害剤スクリーニング
in silico阻害剤スクリーニングは、コンピューターを使って新しい薬の候補を探す方法です。「in silico」はラテン語由来で、「コンピューター上で」という意味があります。この方法では、標的となるタンパク質の立体構造データと、多数の化合物データとをコンピューターに入力します。そして、どの化合物がタンパク質にうまく結合し、その働きを阻害できそうかをシミュレーションで予測します。実験室での実験(in vitro)に比べて、短時間で膨大な数の化合物を調べられるのが特徴です。創薬の初期段階で活用され、有望な候補物質を効率的に見つけ出すのに役立ちます。
問い合わせ先
東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 食品生物構造学研究室
教授 永田 宏次(ながた こうじ)
Tel:03-5841-1117
E-mail:aknagata[at]mail.ecc.u-tokyo.ac.jp
東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命化学専攻食品生物構造学研究室 農学共同研究員
浙江大学長三角智慧緑洲創新中心未来食品研究室 特任研究員
陸 鵬(りく ほう)
E-mail:porterlu[at]g.ecc.u-tokyo.ac.jp、porterlu[at]zju.edu.cn
※上記の[at]は@に置き換えてください。