◆イネの開花時期を決め、光により制御を受ける重要な遺伝子Ghd7の働きを、ゲノム上の28 kbも離れた場所からオンにする、わずか228塩基対の「遠隔操作スイッチ」を発見しました。
◆CRISPR/Cas9によるゲノム編集技術を用いて、Ghd7遺伝子の上流65 kbの範囲を体系的に解析したことで、これまで見過ごされてきた長距離の遺伝子制御機構を明らかにしました。
◆本成果は、光による遺伝子発現制御の仕組みの理解を大きく前進させるものです。さらに、この遠隔スイッチを精密に改変することで、イネの開花時期を人為的に調節し、多様な環境に適応する新品種の開発に貢献することが期待されます。

Ghd7の「遠隔操作スイッチ」を欠失したイネ(600-del, 200-del)は、Ghd7そのものが壊れたイネ(ghd7)と同程度に早咲きになる

概要

 東京大学大学院農学生命科学研究科の井澤毅教授らの研究グループは、農研機構の小郷裕子博士らとの共同研究により、イネの開花時期を制御する重要な遺伝子Ghd7(注1)の転写に必要となる「遠隔操作スイッチ」のDNA領域(シス制御領域;注2)を特定しました。これは、遺伝子本体から約28 kb(キロベース)も離れた位置にある、わずか228塩基対の領域です。
 本研究では、CRISPR/Cas9によるゲノム編集技術(注3)を用いて、Ghd7の上流の65 kbにわたる広いDNA領域をスキャンするように欠失させ、どの部分がGhd7の働きを制御しているかを調べました。その結果、この228塩基対の領域が朝の光に反応してGhd7のスイッチを入れ、イネの開花を遅らせる働きを持つことが明らかになりました。
 今回の発見は、植物の遺伝子発現が遠く離れた領域によってコントロールされることを遺伝学的に証明した、世界的にも稀有な成果です。この仕組みを応用して、イネの開花期のより精密な調整が可能になることが期待されるほか、植物の光応答の仕組みをより詳細に解明する手掛かりになると予想されます。

1:本研究で作出した上流欠失系統とその開花期の変化

Ghd7の上流65 kbの範囲を網羅的に欠失させた系統集団を作成し、その開花期の変化を調べた。その結果、Ghd728 kb上流の228 bpを欠失した系統が早咲きを示すことを発見した。青の破線は、一般的にシス制御領域が存在すると想定される範囲を示している。

発表内容

 「作物がいつ咲くか」は、作物の収穫時期を決定する主要因であり、収量や品質といった農業形質に直結するきわめて重要な形質です。最重要作物の一つであるイネは、本来は短日植物であり、一日の日の長さ(日長)が13.5時間を下回るときにのみ開花が誘導されるという性質を有しています。この性質を有しているイネを、夏の日長が長い北海道などの高緯度地域で栽培すると開花が極端に遅れてしまうため、従来品種では北海道での稲作は困難でした。イネではこれまでに数十の開花期を決定する遺伝子が報告されていますが、そのなかでも日長が長い条件(長日条件)で開花を抑える“ブレーキ”として、「Ghd7(ジーエイチディーセブン)」という遺伝子が特に重要であることが知られています。現在北海道で栽培されるほぼ全てのイネ品種では、Ghd7が働かないようになっていて、それによって北海道での稲作が実現したという背景があります。また、Ghd7と同起源の遺伝子は、コムギやトウモロコシ、ソルガムなど他の主要作物にも存在し、それぞれの作物の栽培地域や生育特性の多様化に重要な役割を果たしてきました。以上のように、Ghd7は農業上重要な開花期の調整遺伝子であり、その制御メカニズムの解明が求められていました。

2:イネ品種の栽培地域とGhd7の遺伝子型の対応

北海道では、機能欠損アリルghd7をもつ品種が広く栽培されている一方で、本州以南では機能型のGhd7をもつ品種が主に利用されている。


 これまでの研究から、Ghd7は植物の光センサー「フィトクロム」を介して、朝の赤色光に応答して強く働き始めることが知られていました。しかし、その光応答のスイッチ(シス制御因子)がどこに存在するのかは、長年にわたり明らかになっていませんでした。遺伝子の上流数キロベースの範囲にその制御スイッチがあるというのが通説ですが、詳細に解析しても見つからず、Ghd7の制御スイッチは実はもっと離れた場所に存在するのではないかと予想されていました。
 本研究では、CRISPR/Cas9によるゲノム編集技術を用いて、Ghd7遺伝子からその一つ上流の遺伝子までの約65 kbにわたる領域を対象に、複数の欠失変異体を体系的に作出しました。それらの開花時期を比較した結果、Ghd720-40 kb上流の20 kbの範囲を欠失させた系統(-20/-40K)では、開花が顕著に早まることがわかりました。さらに詳細な解析により、Ghd7の約30 kb上流の3.7 kbの領域を欠失した系統(-26/-30K)も、同様に早咲きを示すことが確認されました。これらの変異体では、Ghd7の朝の光による急激な誘導が失われており、この領域がGhd7の光応答制御に関わることが示されました。最終的には、Ghd7から28 kbも離れた、わずか228塩基対の領域が、朝の光に反応してGhd7ONにする遠隔スイッチとして働くことを突き止めました。この領域を欠失させるだけで、Ghd7の発現は著しく低下し、Ghd7が機能しない変異体と同程度に開花が早まることが実証されました。


3:早咲きを示す上流欠失系統のGhd7発現パターン(長日条件)

逆転写リアルタイムPCRにより、Ghd7遺伝子の発現量が一日のなかでどのように変化するのかを測定した。灰色部分は光が当たっていない夜の時間を示す。変異を持たない野生型(黒線)では、朝になるとGhd7の発現が急速に誘導されるが、早咲きの上流欠失系統はいずれも朝の光による誘導が著しく弱まることが確かめられた。縦軸はGhd7の発現量(10を底とする対数表記)、横軸はZeitgeber Time(ここでは、明期の始まりを0としたときの経過時間)。


 このように、遺伝子から極めて離れた場所にあるDNA領域が、その遺伝子の調節に欠かせない働きをすることが判明した例は植物では珍しく、本研究の成果は、これまで謎に包まれていた植物の「長距離遺伝子制御」の仕組みに新たな光を当てるものです。今後は、この遠隔スイッチを精密に操作することで、Ghd7本体を壊すことなくその働きを調節する、新しい品種づくりへの応用が期待されます。

発表者・研究者等情報 (所属・職名は原稿執筆時点のものです)

東京大学大学院 農学生命科学研究科 生産・環境生物学専攻
 井澤 毅 教授
 河内 匠 大学院生
 三村 真生 助教
農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)
 小郷 裕子 博士
 内藤 健 博士
 伊藤 博紀 博士

論文情報

雑誌名:Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America (PNAS)
題 名:A 65-kb Deletion Survey Identifies a Distal Cis-Regulatory Region for Red-Light Induction of Ghd7, a Key Rice Floral Repressor
著者名:Yuko Ogo, Takumi Kawauchi, Manaki Mimura, Ken Naito, Hironori Itoh, and Takeshi Izawa* (*Corresponding author)
DOI:10.1073/pnas.2423119122
URL:https://www.pnas.org/doi/10.1073/pnas.2423119122

研究助成

本研究は、科学研究費助成事業(課題番号:JP17H06246, JP20K22585, JP22H05180, JP22H05172, JP22H00367)、ヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラム(HFSP; RGP0011/2019)、農研機構の男女共同参画推進室からの研究支援により実施されました。

用語解説

(注1)Ghd7 イネの遺伝子の一つで、Grain number, plant height, and heading date 7の略 。日長が長い(夏至に近い)条件で、開花のブレーキ役(抑制因子)として機能する。この遺伝子の働きが失われた品種は、夏の日長が長い北海道のような高緯度地域でも早く開花・成熟できる。
(注2)シス制御領域 遺伝子本体と同じDNA鎖上にあり、その遺伝子の転写(スイッチのオン・オフ)を制御する領域。遺伝子のすぐ近くにあることが多いが、本研究では遺伝子から遠く離れた遠位のシス制御領域が発見された。
(注3)ゲノム編集(技術) 生物が持つゲノム配列を、狙った通りに高い精度で改変する技術。本研究で用いたCRISPR/Cas9はその代表的な手法で、DNAの特定の部分を切断したり、欠失させたりすることができる。
(注4)フィトクロム 植物が持つ光受容体(光センサー)タンパク質の一種で、主に赤色光と遠赤色光を感知する。日の長さや光の質を認識し、開花、芽生え、形態形成など、植物の成長・発生における様々な現象を制御する。

問合せ先

(研究内容について)
東京大学大学院農学生命科学研究科 生産・環境生物学専攻
教授 井澤 毅(いざわ たけし)
E-mail: takeshizawa[at]g.ecc.u-tokyo.ac.jp

(報道担当)
東京大学大学院農学生命科学研究科・農学部 総務課総務チーム広報情報担当
E-mail: koho.a@gs.mail.u-tokyo.ac.jp

関連教員

井澤 毅