麹菌の酵素生産能の高さは菌糸細胞体積と核数の増加による
麹菌の高い酵素生産能に関わる特性を細胞生物学的に解析し、培養により菌糸が太くなり、細胞体積とそこに含まれる核の数が10倍程度に増加することを見いだしました。これにより、菌糸あたりの転写と翻訳量が高まり、タンパク質生産および酵素生産能力が上昇すると考えられます。
発表概要
麹菌は、アミラーゼやプロテアーゼなどの酵素を生産する能力が高く、日本酒・醤油・味噌といった伝統的醸造発酵に利用されてきました。現在は、酵素生産などのバイオ産業でも世界的に利用されています。本研究は、細胞生物学的解析により、麹菌が持つ酵素生産能に関わる特性を明らかにしました。麹菌は1〜3日間の培養により、太い菌糸が出現し優占しました。この太い菌糸は、培養初期の菌糸と比べ、菌糸細胞の体積が10倍に、核の数も10倍の200以上に増加しました。この細胞体積と核数の増加は、麹菌に特徴的であり、アミラーゼ酵素活性の上昇と相関が見られました。そこで、細胞体積と核数の増加に関わる分子機構を解析し、関わる因子を明らかにしました。そして、細胞体積と核数が互いに制御し合い、それぞれが同時に増加するというモデルを提唱しました。細胞体積と核数が増加することで、菌糸あたりの転写と翻訳量が高まり、酵素生産能力が上昇すると考えられます。このような形質はエネルギーを大量に必要とするため、自然環境では選抜されにくいと考えられますが、栄養豊富な環境で長年にわたり育種されてきた麹菌では、この形質が選抜された可能性があります。酵素生産の産業で使用されるトリコデルマやペニシリウムの育種株においても、同様に細胞体積と核数の増加が見られました。本研究は、多核生物における細胞体積と核数の制御について基礎的な知見を提供するとともに、産業応用における糸状菌の育種に新しい指針を与えるものです。
研究の背景
2024年、日本の「伝統的酒造り」がユネスコの無形文化遺産に登録されました。日本の気候風土の中で長い歴史を通じて、伝統的な醸造技術が受け継がれてきました。その中核を担っているのが「麹菌」です。麹菌Aspergillus oryzaeは、アミラーゼ・プロテアーゼなどの酵素を生産する能力が高いことが知られています。この特性を活かし、米・麦・大豆に麹菌を生やした麹(米麹・麦麹・豆麹)は、日本酒・醤油・味噌などの伝統的な醸造発酵に利用されてきました。麹は、その後の発酵過程に影響を与えるため、最終的に発酵産物の味や香りの決定に関わります。日本の発酵食品に使われる麹菌は、学術的にはAspergillus属に分類されており、A. oryzae(黄麹菌)以外にも、Aspergillus sojae(醤油麹菌)、Aspergillus luchuensis(黒麹菌)、およびその変異株であるAspergillus luchuensis mut. kawachii(白麹菌)などがあります(図a)。
麹菌を含む糸状菌は、一般に酵素を生産し分泌する能力が高く、酵素生産などのバイオ産業に利用されています。麹菌も、有用酵素の発現の宿主として酵素生産産業で世界的に利用が広がっています。これまでに、麹菌の有用性を理解し制御するため、そのゲノムや関連遺伝子の発現制御の研究が進められて来ました。
糸状菌は菌糸と呼ばれる細長い細胞の先端を伸ばすことで生長し、ある程度の長さになると隔壁で細胞が仕切られます。菌糸の先端生長と分岐を繰り返しながら、放射状に広がって生長します。研究モデル糸状菌であるAspergillus nidulansでは、菌糸先端の細胞に10〜20程度の核が含まれます。
研究内容と成果
本研究は、細胞生物学的解析により麹菌の高い酵素生産能に関わる特性を明らかにしました。麹菌は1〜3日間の培養により、太い菌糸(培養初期の3倍)が出現し、その割合が80%まで達しました。太い菌糸は、培養初期の菌糸と比べ、菌糸細胞の体積が10倍に、菌糸先端の細胞に含まれる核の数も10倍の200以上に増加しました(図b)。このような細胞体積と核数の増加は、糸状菌の中でもA. oryzaeと醤油麹菌に特徴的であり、調査された他のAspergillus属の糸状菌には見られませんでした(図c)。このような麹菌の菌糸における細胞体積と核数の増加には、アミラーゼ酵素活性や分泌されるタンパク質量の上昇と相関が見られました。そこで、細胞体積と核数の増加に関わる分子機構を解析し、いくつかの要因を明らかにしました。細胞体積の増加に関わるものとして、カルシウムイオンの膜透過に関わるチャンネルと糖転移酵素、核数の増加に関わるものとして、特定のアミノ酸、および栄養状態を感知するシグナル経路であるTOR経路の活性化が挙げられます。これらのことから、細胞体積と核の数は互いに制御し合い、それぞれが同時に増加するというモデルを提唱しました(図d)。細胞体積と核数が増加すると、菌糸あたりの転写・翻訳量が高まり、タンパク質生産・酵素生産能力が上昇すると考えられます(図e)。このような形質はエネルギーを大量に必要とするため、自然環境では選抜されにくいことが考えられます。しかし、麹菌は栄養豊富な環境で長年にわたり育種されてきたため、このような形質が選抜された可能性があります。酵素生産の産業で使用される糸状菌のトリコデルマやペニシリウムの育種株においても、同様に細胞体積と核数の増加が見られました。
今後の展開
本研究成果は、細胞内に核を複数持つ多核生物における細胞体積と核数の制御について基礎的な知見を提供するとともに、産業応用における糸状菌の育種に新しい指針を与えるものです。
参考図
図 (a)麹菌と関連する種を生育させたプレート。(b)細い菌糸(4 mm幅)から太い菌糸(12 mm幅)が分岐で出現する。核内のヒストン(染色体を構成するタンパク質)を蛍光タンパク質(GFP)で標識した。 (c)Aspergillus属糸状菌の菌糸の先端の細胞とそこに含まれる核(GFPまたは蛍光染色)の分布(スケールバーは10 mm)。(d)分岐の形成時に、細胞体積と核数の増加が同時に起きるモデル。細胞体積と核の数は互いに制御し合う。(e)細胞体積と核数が増加することの利点と欠点、および、麹菌の育種との関わり。
研究資金
本研究は、JSPS科研費(21H02095, 21K19062, 25K01927)、JST ERATO (JPMJER1502)、大隅基礎科学創成財団研究助成、野田産研研究助成の支援を受けて行われました。
研究代表者
筑波大学 生命環境系
竹下 典男 准教授
東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命工学専攻 微生物学研究室
(兼) 醸造微生物学(キッコーマン)寄付講座
丸山 潤一 教授
掲載論文
【題 名】The increase in cell volume and nuclear number of the koji-fungus Aspergillus oryzae contributes to its high enzyme productivity
(麹菌Aspergillus oryzaeにおける細胞体積と核数の増加がその高い酵素生産に寄与する)
【著者名】 Ayaka Itani1, Haruto Motomura1, Ken Oda2, Hideyuki Yamashita3, Kanae Sakai4, Ken-ichi Kusumoto4, Shinsuke Shigeto5, Takehiko Ichikawa6, Hosain Mohammad Mubarak6, Takeshi Fukuma6, Takuya Katayama7,8, Jun-ichi Maruyama7,8, Shunsuke Masuo1, Naoki Takaya1, Norio Takeshita1*
1 Microbiology Research Center for Sustainability (MiCS), Faculty of Life and Environmental Sciences, Tsukuba Institute for Advanced Research (TIAR), University of Tsukuba, 305-8572, Japan
2 National Research Institute of Brewing, 3-7-1 Kagamiyama, Higashi-hiroshima, Hiroshima, 739-0046, Japan
3 Higuchi Matsunosuke Shoten Co., Ltd., 1-14-2 Harima-cho, Abeno-ku, Osaka 545-0022, Japan
4 Department of Biotechnology, Graduate School of Engineering, Osaka University, 2-1 Yamadaoka, Suita, Osaka 565-0871, Japan
5 Department of Chemistry, School of Science, Kwansei Gakuin University, Sanda, Hyogo, 669-1330, Japan
6 Nano Life Science Institute (WPI-NanoLSI), Kanazawa University, Kakuma-machi, Kanazawa 920-1192, Japan
7 Department of Biotechnology, The University of Tokyo, Tokyo 113-8657, Japan
8 Collaborative Research Institute for Innovative Microbiology, The University of Tokyo, Tokyo 113-8657, Japan
【掲載誌】 eLife
【掲載日】 2025年9月23日
【DOI】 10.7554/eLife.107043.4
問合わせ先
東京大学 大学院農学生命科学研究科・農学部
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