発表のポイント

  • 実験用ラットが放出する匂いから、それを嗅いだ他のラットの恐怖を緩和するフェロモンを同定しました。
  • 実験用ラットと同一種である野生ドブネズミにも、同じ物質がフェロモンとして機能することを明らかにしました。
  • 本研究成果は、ラットやドブネズミの習性に基づいた効率的な研究や駆除を行うことに繋がると期待されます。

ラットやドブネズミは、フェロモンによって仲間の恐怖を緩和している

発表概要

 東京大学大学院農学生命科学研究科の清川泰志准教授らによる研究グループは、実験用ラットや野生ドブネズミから放出される匂いに2-メチル酪酸が含まれていることを見出しました。そして2-メチル酪酸を嗅いだラットは、以前に嫌悪刺激と関連づけられたブザー音に対して恐怖反応を示さなくなることが明らかになりました。さらに、ドブネズミは馴染みのない物体を避ける行動である新奇性恐怖を示しますが、2-メチル酪酸を嗅いだドブネズミではこの新奇性恐怖が減弱することが、野外において確認されました。これらのことから、2-メチル酪酸はラットやドブネズミの恐怖を緩和するフェロモン(注1)、すなわち安寧フェロモンであることが示されました。
 安寧フェロモンを同定したことにより、実験室ではラットの習性を踏まえることで効率的な研究を行えるようになると考えられます。また市街地では、アニマルウェルフェアに配慮しながらも効率的なネズミ駆除を行えるようになると考えられます。ラットやドブネズミは実験室と市街地においてそれぞれ主要な動物であることから、本研究成果は科学の進歩と公衆衛生の向上の両方に貢献すると期待されます。

発表内容

 実験用ラットと野生ドブネズミは同一種の動物(Rattus norvegicus)であり、それぞれ実験室と市街地において主要な動物です。近年、実験室と市街地の両方において彼らの習性を理解する必要性が高まってきています。例えば実験室では、ラットはソーシャルスキル(社会技能、注2)の研究に適した実験動物であることが明らかになってきました。このような研究はラットの習性に基づいて行うことで、より効果的なものになると考えられます。また世界中の市街地では、数千年にわたってネズミ駆除が行われてきたものの、依然としてドブネズミは主要な害獣となっています。そのため彼らの習性に基づいた、より効率的な駆除方法が求められています。しかし、ラットやドブネズミの習性は驚く程なにも分かっていません。
フェロモンは、微量で同種の他個体とのコミュニケーションを媒介する嗅覚シグナルのことを指します。社会性の高い動物たちの生活は、仲間とのコミュニケーションによって成り立っています。そのためラットやドブネズミのフェロモンを解析することは、彼らの習性を理解することに繋がると考えられます。先行研究より、他のラットから放出された匂いを嗅いだラットは、以前に嫌悪刺激と関連づけられたブザー音に対して恐怖反応を示さなくなることが知られていました。そこで本研究グループは、ラットから放出される匂いには恐怖反応を緩和するフェロモン、すなわち安寧フェロモンが含まれているという仮説を立て、検証しました。
 まず、嗅いだラットの恐怖反応を緩和する匂い、すなわち生理活性を持った匂いを麻酔下のラットから捕集する方法を確立しました。続く研究で、Wistar系統(注3)とSprague-Dawley(SD)系統のラットからは生理活性を持った匂いが放出されるものの、Fisher344(F344)系統のラットからは放出されないことがわかりました。そこでこれらの匂いを分析したところ、Wistar系統とSD系統のラットは、F344系統が放出しない4つの化学物質を放出していることがわかりました。そして、化学合成された4つの物質を入手して1つずつ嗅がせてみたところ、2-メチル酪酸だけが生理活性を有することがわかりました。また2-メチル酪酸は非常に微量で効果を発揮することや、ラットから放出された匂いと同じ脳内反応を引き起こすことも明らかになりました。さらにラットにとって2-メチル酪酸を嗅ぐことは、もう一度嗅ぎたくなるような好ましい出来事であることも分かりました。これらのことから、2-メチル酪酸はラットのフェロモンであることが示されました。
 実験用ラットは実験室内に120年以上隔離されている動物です。そのため、ラットのフェロモンである2-メチル酪酸が野生ドブネズミにとってもフェロモンとして機能するかが懸念されます。そこでまず、東京都の2地点でそれぞれドブネズミを捕獲して、彼らから放出される匂いを分析してみました。その結果、いずれの地点でも多くのドブネズミが2-メチル酪酸を放出していることが確認されました。次に、2-メチル酪酸がドブネズミにも効果を発揮することを検討しました。一般的にドブネズミは、馴染みのない物体を避ける行動である新奇性恐怖を示すことが知られています。しかし2-メチル酪酸を嗅がせたところ、夏の養鶏場と冬の公園という季節も場所も異なる条件下において、いずれも新奇性恐怖が緩和されることが明らかになりました。これらのことから、ドブネズミにおいても2-メチル酪酸はフェロモンであることが示されました。以上の結果を踏まえ、2-メチル酪酸はドブネズミという動物種(Rattus norvegicus)における安寧フェロモンであると結論づけました。
本研究により、実験用ラットと野生ドブネズミの安寧フェロモンを同定することができました。安寧フェロモンは嗅いだラットの恐怖やストレスを緩和することから、援助行動や慰め行動など、ラットの様々なソーシャルスキルに関与していると考えられます。そのため、フェロモンを介したコミュニケーションに対する理解を深めることは、ソーシャルスキルをより効率的に研究できるようになると考えられます。またドブネズミは新奇性恐怖を示すため、駆除のために設置された罠や殺鼠剤が避けられてしまい、駆除効率が低いという現状があります。加えて、英国では2024年4月から非人道的な罠の使用が禁止されるなど、より人道的な方法でネズミ駆除を行うことが世界中で求められています。そのため安寧フェロモンを利用することで、アニマルウェルフェアに配慮しながらも効率的なネズミ駆除を行えるようになると考えられます。このように、本研究成果は科学の進歩と公衆衛生の向上の両方に貢献すると期待されます。

研究グループ

東京大学大学院農学生命科学研究科
    清川 泰志 (准教授)
    田母神 成行(特任研究員)
    大瀧 真門 (修士課程:研究当時)
    武内 ゆかり(教授)

マグデブルク大学薬理毒性学研究所
    エブリン カール (技術補佐員)
    ダナ メイヤー  (技術補佐員)
    マーカス フェンド(教授)

大丸合成薬品株式会社
    長岡 慧(代表取締役社長)

イカリ消毒株式会社
    谷川 力(顧問)

発表雑誌

雑誌
iScience
題名
An appeasing pheromone ameliorates fear responses in the brown rat (Rattus norvegicus)
著者
Yasushi Kiyokawa*, Shigeyuki Tamogami, Masato Ootaki, Evelyn Kahl, Dana Mayer, Markus Fendt, Satoru Nagaoka, Tsutomu Tanikawa, Yukari Takeuchi
DOI
https://doi.org/10.1016/j.isci.2023.107081

研究助成

 本研究は、日本学術振興会科学研究費助成事業(課題番号:JP20H3160、JP19H00967)の支援により実施されました。

用語解説

  • 注1 フェロモン
     生きている個体から放出され、同種の他個体が受容したときに特定の反応を非常に微量で誘起し、動物の進化を考える上で適応的な機能を持つコミュニケーションに利用される物質。
  • 注2 ソーシャルスキル(社会技能)
     他個体との相互作用やコミュニケーションを促すなど、社会の中で他個体と円滑に生活していくために必要となる能力。
  • 注3 系統
     計画的な交配方法によって維持されていて、なんらかの特徴を備えている、元祖の明らかな動物群。

問い合わせ先

〈研究に関する問合せ〉
東京大学大学院農学生命科学研究科 応用動物科学専攻
准教授 清川 泰志(きよかわ やすし)
Tel:070-3295-8487 E-mail:akiyo[アット]mail.ecc.u-tokyo.ac.jp

〈報道に関する問合せ〉
東京大学大学院農学生命科学研究科・農学部
事務部 総務課総務チーム 総務・広報情報担当(広報情報担当)
Tel: 03-5841-8179  Fax:03-5841-5028
E-mail:koho.a[アット]gs.mail.u-tokyo.ac.jp

※[アット]を@に変えてください。

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武内 ゆかり