女性の排卵期に増加して、男性にポジティブな生理・心理効果を与える体臭成分を特定
発表のポイント
◆女性の月経期サイクルで変動する体臭のなかで、排卵期に量が増える、脂質代謝由来と考えられる3成分を特定しました。
◆その3つの匂い成分をモデル脇臭に加えると、男性にとって、モデル脇臭の不快度が軽減し、心地よさやリラックス度が上昇して、女性の顔に対してより良い印象を持つようになりました。
◆ヒト男女間で、生理的・心理的にポジティブな嗅覚コミュニケーションが存在する可能性を示す結果です。
研究概略図
概要
東京大学大学院農学生命科学研究科の東原和成教授の研究グループは、ヒト女性の月経周期(注1)のうち排卵期(注2)に増加する体臭成分を3種類同定しました。さらに、これらの成分をモデル脇臭に添加すると、男性が嗅いだ時の不快度が軽減し、心地よさやリラックス度が上昇することを見出しました。また、不快な脇臭下の作業で生じるストレス上昇が、この3種類の匂い成分を加えることによって抑えられることもわかりました。さらに、この3成分は男性による女性の顔印象もアップさせました。これらの結果は、女性の排卵期に増加する3つの匂い成分は、体臭の不快さを軽減させ、男性に対して、生理的にも心理的にもポジティブに働くことを示しています。ヒトの男女間のコミュニケーションには、視覚や聴覚だけでなく、体臭を介するものもあり、嗅覚も生存に有利に働いていることを示唆するものであり、生物学的にも進化的にも興味深い知見です。今回特定した3つの成分がヒトのフェロモン様物質(注3)であるかは今後のさらなる研究が必要ですが、これらの成分はヒトが体内で作る脂質代謝由来の天然物質と思われますので、人工香料ではなくナチュラルな物質でポジティブな心理効果を与えるという社会実装につなげられると期待されます(PCT出願 PCT/JP2024/024888)。
発表内容
動物の生殖行動において、体臭は重要な情報伝達手段とされており、霊長類の複数の種においては、体臭を介したコミュニケーションの存在が観察されています。近年では、ヒトにおいても、女性の体臭が排卵期などの高い受胎可能性を示す手がかりとなる可能性があると複数の研究で示されています。例えば、男性が排卵日に近い女性の腋臭に対して、他の時期(月経期や黄体期)と比べて快い、魅力的と感じられやすいことが複数報告されています。これらの効果がホルモン避妊によって消失することから、女性ホルモンが体臭の魅力度に関与していると考えられています。しかしながら、女性の腋臭が受胎可能性に関す情報を伝えている可能性はあるものの、前述したような心理・生理的効果を持つ腋臭成分は特定されておらず、研究結果にはまだ統一的な結論が得られていません。
研究グループは、腋臭の最適な捕集方法を検討した上で、GC/MS(ガスクロマトグラフィ質量分析)(注4)による手法を用いることで、月経周期の各時期における腋臭の成分組成を明らかにすることを目指しました。また、これまで多くの研究が匂いの快・不快評価にとどまっていた点を発展させ、月経周期を通じた腋臭の匂いの質についても詳細に調査しました。
その結果、男性にとって排卵期の腋臭は他の時期と比べて快いと感じられる傾向が確認され、これは多くの先行研究と一致するものでした。さらに、排卵期の腋臭は他の時期と比べて「酸っぱい匂い」として評価される頻度が低く、「香粧品のような匂い」として認識される頻度が高いことが明らかになりました。加えて、成分分析により月経周期に伴って変動する腋臭成分の全体像を明らかにし、排卵期に(E)-geranylacetone, tetradecanoic acid, (Z)-9-hexadecenoic acid の3つの脂質関連化合物が増加することを明らかにしました。
次に、排卵期に増加する3つの成分が男性における匂いの知覚に与える影響を検証しました。まず、月経周期を通じてほとんど変化のない成分で構成された匂い(ベース腋臭)と排卵期に増加する3成分を混ぜた匂い(排卵期臭)、およびその混合臭(ベース腋臭+排卵期臭)を作成し、男性に官能評価を実施しました。その結果、排卵期臭は「香粧品のような匂い」「シトラスの匂い」「リラックスできる」といった評価が高くなりました。さらに、ベース腋臭に排卵期臭を加えた混合臭では、ベース腋臭の「汗臭さ」「皮脂臭」「生乾き臭」「生臭い」といった否定的な印象が、有意に軽減されました。そして、ベース腋臭と比べてより快く、好ましく、フェミニンな香りとして評価されました。
ベース腋臭の不快感を軽減する効果は、排卵期に増加する3成分のうちいずれか1成分を単独で加えた場合にも認められましたが、3成分を混合した場合に最も高い抑制効果が認められました。さらに、排卵期と近い時期である卵胞期に増加していた別の3成分を混ぜた匂いについても、同様の効果があるか検証したところ、排卵期に増加していた3成分を用いた匂いの方がより大きく不快度を抑制することが明らかとなりました。
以上の結果は、男性が排卵期の女性の腋臭を他の時期よりも快く、「香粧品のような匂い」と感じた実験結果と一致しており、排卵期に増加する3成分が腋臭の魅力を高める役割を果たしている可能性を示唆しています。
次に、排卵期に増加する3成分の男性に対する心理的・生理的な影響を調べました。具体的には、匂いを嗅ぎながら顔印象評定と気分評定を行い、その前後で気分評定と唾液中のαアミラーゼ測定(注5)(ストレスマーカー)をしたところ、排卵期臭(排卵期の3成分を混ぜた匂い)はベース腋臭単独を呈示した際に見られたリラックス感の低下を抑制し、同時にストレス指標であるαアミラーゼ値の上昇も抑える効果が見られました。また、ベース腋臭単独の呈示下では女性の印象スコアが低下することが見られた一方で、排卵期臭をベース腋臭に加えて提示した場合では、印象スコアが上昇しました。もともと印象スコアの高い顔に関しては、匂いの影響は受けなかったことは注意が必要です。
本研究の結果は、排卵期に増加する3つの成分が、男性の心理状態や女性の顔の印象に関する知覚に影響を与え、男女間のコミュニケーションに嗅覚が重要な役割を果たしている可能性を示唆しています。これらの知見は、女性の体臭に秘められた生物学的意義の解明に貢献するだけでなく、体臭由来の揮発性成分を活用して男女関係を良好にするという社会実装にもつながることが期待されます。
発表者・研究者等情報
東京大学 大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻
大木 望(博士課程:研究当時
白須 未香(特任助教:研究当時
小倉 由資(准教授)
平澤 佑啓(特別研究員:研究当時)
岡本 雅子(准教授)
川村 理恵子(学術専門職員)
滝川 浩郷(教授)
東原 和成(教授)
兼:東京大学国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構連携研究者
論文情報
雑誌名:iScience
題目:Human ovulatory phase-increasing odors cause positive emotions and stress-suppressive effects in males
著者名:Nozomi Ohgi, Mika Shirasu, Yusuke Ogura, Yukei Hirasawa, Masako Okamoto, Rieko Kawamura, Hirosato Takikawa, and Kazushige Touhara
DOI: 10.1016/j.isci.2025.113087
URL: https://doi.org/10.1016/j.isci.2025.113087
研究助成
本研究は、科研費 特別推進研究(JP23H05410)、基盤研究S(JP18H05267)、基盤研究C (a18K14651 and 22K06418 to M.S.; 21K1346 to Y.H.; 18K02477, 18H04998 and 21H05808 to M.O.)、JST未来社会創造プロジェクト (JPMJMI17DC and JPMJMI19D1)、JST ERATO東原化学感覚シグナルプロジェクト(JPMJER1202)、農芸化学会女性の支援によって実施されました。
用語解説
注1 月経周期: ホルモンの働きにより妊娠に備える女性の体のリズム。月経(生理)の始まりから次の月経が始まる前日までの期間で、一般的には約28日だが個人差がある。月経周期は、月経期・卵胞期・排卵期・黄体期の4つの時期に分けられ、各時期に応じて体調や気分が変化することがある。
注2 排卵期: 女性の体が卵子を排出する時期のこと。この時期は妊娠しやすいタイミングとされている。月経周期の中頃(通常は次の生理の約14日前)に起こる。
注3 フェロモン様物質:一般にフェロモンはある生物種の個体から分泌発散され、同種の他個体に対して特異的な行動を引き起こすと定義される一方、フェロモン様物質は特異的な行動を直接導くものではないが、ホルモンなどの内分泌系に変化を引き起こすことで間接的に生殖に影響を与えていると考えられる物質を指す。
注4 GC/MS(ガスクロマトグラフ質量分析): 混ざり合った化学成分を分離し、それぞれが何かを詳しく調べる装置。まずガスクロマトグラフで成分を分け、次に質量分析計によって、その成分の化合物名を同定する。東京大学大学院農学生命科学研究科の当研究室では、加熱脱着、冷却捕集が可能な試料導入装置を付属することで、通常では分析困難な試料にも対応可能なシステムに改変して用いている。
注5 α-アミラーゼ: デンプンやグリコーゲンを多糖やマルトースなどに分解する酵素。交感神経系の活動が高まると、唾液腺からの放出が促される。よって、近年は交感神経系に関わるストレス応答の指標として用いられる様になった。
問合せ先
(研究内容については発表者にお問合せください)
教授 東原 和成(トウハラ カズシゲ)
Tel:03-5841-5109 Fax:03-5841-8024
E-mail: ktouhara[at]g.ecc.u-tokyo.ac.jp
研究室URL:https://www.biochem.ch.a.u-tokyo.ac.jp
<広報に関すること>
東京大学大学院農学生命科学研究科・農学部
事務部 総務課総務チーム 総務・広報情報担当(広報情報担当)
Tel: 03-5841-8179, 5484 Fax:03-5841-5028
E-mail: koho.a[at]gs.mail.u-tokyo.ac.jp
※上記の[at]は@に置き換えてください。