発表のポイント

◆これまで表示されていなかった魚の「鮮度」と「脂肪度」のラベルが、消費者の支払意思額(WTP)に与える影響を実験的に検証しました。品質の良い魚に対しては表示することによってWTPが上昇する一方で、これらの属性を未表示の商品に対して2030%のWTP低下が生じることを明らかにしました。このことは「情報を隠す=品質が低い」と消費者が考える可能性を示唆しています。
◆従来の研究がラベルの情報効果(注1)に着目していたのに対し、本研究は「ラベル表示が技術的に可能であることを消費者が知る」こと自体が未表示商品への評価を下げるというシグナリング効果(注2)を、実証的に示した点が新しいです。また、ラベルの表示形式(絶対値か偏差値か)がWTPに与える違いも初めて定量化しました。
◆本研究は、食品の品質表示制度の改善に貢献するものであり、消費者がより適切な選択を行える環境整備や、食品ロスの削減、サプライチェーンの高度化に資することが期待されます。特に偏差値形式のラベル表示は、過度な評価や過小評価を避け、市場全体の効率向上につながる可能性があります。

マアジの刺し盛

概要

 東京大学大学院農学生命科学研究科の阪井裕太郎准教授の研究グループは、魚の「鮮度」や「脂肪度」といった、これまでラベル表示されてこなかった属性の表示が、消費者の評価や購買意欲に与える影響を明らかにしました。
 本研究では、東京23区内の小売店で実際に販売されているマアジ253尾の鮮度と脂肪含有量を専用機器で測定し、その結果を基に経済学の選択実験を設計・実施することで、「これらの属性が技術的に表示可能である」と消費者に知らされた場合、未表示の魚に対する支払意思額(WTP)が2030%低下することを世界で初めて実証しました。
 従来の研究がラベルの情報提供効果に焦点を当てていたのに対し、本研究は「表示が可能なのにあえて表示されていない」ことが消費者にネガティブなシグナルとして受け取られるメカニズムを定量的に示した点で新規性があります。
この成果は、食品の品質表示制度の設計や、消費者教育、さらには食品ロス削減や水産物流通の効率化といった社会的課題への貢献が期待されます。

1:Fish Analyzer™ Proによる鮮度・脂肪度測定の様子

発表内容

 これまでの先行研究では、食品ラベルの効果は「消費者が得られる情報の増加(情報効果)」に限定して議論されてきました。しかしこのアプローチには限界があり、特定の属性が表示されていない商品が消費者からどのように評価されるか、すなわち「未表示が与えるシグナルとしての意味」については十分に検討されていませんでした。
 この度、本研究チームは情報経済学におけるシグナリング理論に着想を得て、世界で初めて水産物市場における「鮮度」および「脂肪含有量」といった非表示属性にラベリングを導入することの効果を検証しました。
 研究ではまず、東京23区内のランダムに選ばれた100店舗を対象に、マアジ253尾の鮮度と脂肪度を実際に測定しました。この測定には、電気インピーダンス方式により細胞レベルの劣化度と脂肪度を即時に判定できる装置「Fish Analyzer™ Pro(注3)」を使用し、販売されている魚の品質の実態を客観的に把握しました。
 そのデータに基づき、3種類の選択実験(注4)を設計しました。(1)鮮度・脂肪情報が一切表示されていないベースパターン、(2)鮮度と脂肪含有量を絶対値で表示するパターン、(3)それらを市場内の偏差値として相対的に表示するパターンです。東京23区在住の約1,200名の消費者を対象にオンライン調査を実施し、実験データを用いて混合ロジットモデル(WTP空間)による推定を行いました。
 その結果、「鮮度や脂肪を表示することが技術的に可能である」と消費者が認識するだけで、未表示の商品に対するWTP2030%低下することが明らかになりました。つまり、表示の有無は単なる情報量の違いではなく、「非表示=品質が劣る可能性が高い」といったシグナルとして機能していたのです。
 さらに、表示形式によっても効果は大きく異なりました。絶対値で表示した場合、最も鮮度が高い魚には200円以上のプレミアムが付く一方で、市場の8割以上を占める中~低鮮度の魚には逆にマイナスの評価が下されました。これに対し、偏差値形式で表示した場合は、多くの魚に対して正のWTPが得られ、評価の偏りが緩和されることが確認されました。
 これらは、数年にわたる調査・分析の成果であり、魚類に限らず、これまで表示が難しかった品質属性(鮮度、脂肪、糖度など)を可視化するラベル制度の設計に向けた重要な示唆を与えるものです。本研究の成果は、①消費者が適切な選択を行うための情報提供支援、②食品ロスの削減、③高品質な商品の価格プレミアム獲得、④サプライチェーン全体の高度化といった社会的波及効果をもたらすとともに、今後の行動経済学・表示政策・食品マーケティング研究の発展にも寄与することが期待されます。

2:サンプリングした魚の体調測定の様子

発表者・研究者等情報

東京大学大学院農学生命科学研究科
 阪井 裕太郎 准教授
 野村 翼   研究当時:修士課程
        現:日本生命保険相互会社
 多田 智輝  研究当時:学士課程
        現:ユニ・チャーム株式会社
 八木 信行  教授

論文情報

雑誌名:Applied Economics
題 名:Examining the effect of labelling previously unlabelled attributes: a case study on freshness and fat content in seafood
著者名: Yutaro Sakai, Tsubasa Nomura, Tomoki Tada & Nobuyuki Yagi
DOI: 10.1080/00036846.2025.2540603
URL: https://doi.org/10.1080/00036846.2025.2540603

研究助成

本研究は、科研費「水産業における商品価値の研究(課題番号:21H04738)」「漁業者による自主的漁業管理の理論と実証(課題番号:21K14895)」の支援により実施されました。

用語解説

(注1)情報効果
 ラベル表示によって消費者が得られる「事実に関する情報」に基づいて意思決定が変化する効果のこと。たとえば「原産地」や「栄養成分」が明記されることで、より好ましい商品を選びやすくなる現象を指す。
(注2)シグナル効果
 ある情報が「意図的に開示されていない」こと自体が、消費者にとってネガティブな意味合いを持つという効果。たとえば、同じ市場で一部の商品だけが鮮度を表示している場合、未表示の商品は「鮮度が低いため表示していないのでは」と疑われ、評価が下がる可能性がある。
(注3)Fish AnalyzerTM Pro
 
大和製衡株式会社が開発したもので、電気インピーダンス法を用いて、魚の「鮮度」と「脂肪度」を非破壊・即時に測定できる装置。
(注4)選択実験
 複数の選択肢の中から参加者がどれを選ぶかを観察する実験手法。それぞれの選択肢に属性(価格、品質など)を設定し、消費者がどのような属性にどれだけの価値を見出しているか(支払意思額など)を統計的に推定できる。消費者行動や政策評価の分野で広く用いられている。

問合せ先

(研究内容については発表者にお問合せください)
東京大学大学院農学生命科学研究科
准教授 阪井 裕太郎(さかい ゆうたろう)
Tel:03-5841-7500 E-mail:a-sakai@g.ecc.u-tokyo.ac.jp

関連情報

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