β-グルコシダーゼの中性子構造解析により未知の反応機構を解明
― バイオマス利用に向けた酵素設計の基盤を提供 ―
発表のポイント
◆バイオマス分解酵素の反応中間体を中性子解析で可視化
◆水素原子レベルでの構造変化を世界で初めて確認
◆未知の構造変化による反応メカニズムを発見 — 酵素利用技術への応用に期待
発表概要
β-グルコシダーゼは、セルロースなどのバイオマスを構成する糖鎖を最終的に分解する重要な酵素です。なかでも「Td2F2」と呼ばれるβ-グルコシダーゼは、高い耐熱性とグルコース耐性を併せ持つ有用な酵素です。β-グルコシダーゼは、糖鎖を切断する際に基質と一時的に共有結合を形成することが報告されていましたが、水素原子を含む構造に基づいた詳細な反応機構は明らかになっていませんでした。JASRIの矢野直峰研究員と東京大学大学院農学生命科学研究科の伏信進矢教授らの研究グループは、理化学研究所の石渡明弘専任研究員、筑波大学の高谷直樹教授、CROSSの日下勝弘副主任研究員(当時)らとの共同研究により、茨城県東海村にある大強度陽子加速器施設J-PARC内の茨城県生命物質構造解析装置(iBIX)を用いて、Td2F2の中性子結晶構造解析を実施しました。その結果、反応の前・中・後に相当する三つの状態の構造を世界で初めて中性子を用いて明らかにしました。さらに、基質の結合に必要な水素結合ネットワークを可視化するとともに、これまで知られていなかったチロシン残基の新たな役割を解明しました。本成果は、多くの糖質分解酵素に共通する反応機構の理解を深めるとともに、酵素の改良や産業利用に向けた技術開発の基盤となる重要な知見です。
発表内容
セルロースを主成分とする植物バイオマスは、再生可能で環境負荷の少ない炭素資源として注目されていますが、強固な構造をもつため酵素による分解が困難であるという課題があります。バイオエタノールなどのバイオ燃料生産や、植物資源を原料とするバイオリファイナリーの効率化には、より高性能な酵素分解システムの開発が求められています。こうした技術は、化石資源に依存しない循環型社会の実現をめざすバイオエコノミーの推進にも直結します。なかでも、セルロース分解の最終段階を担うβ-グルコシダーゼは、糖鎖を単糖にまで分解する鍵酵素であり、その反応機構を分子レベルで理解することは、酵素改良や持続可能なバイオマス利用の基盤となります。
堆肥中の微生物のメタゲノム(注1)から得られたβ-グルコシダーゼであるTd2F2は、高い耐熱性を持ち、反応産物であるグルコースによる阻害を受けにくいという有用な性質を持つ酵素です。Td2F2は糖鎖を切断する反応において、基質の一部が酵素と一時的に共有結合を形成する中間体を経ることが知られていました(図1)。しかし、一般的なX線結晶構造解析(注2)では水素原子が観測できないため、酵素が基質を結合して反応を進行させる際に必須となる水素結合(注3)がどのように形成されるか、中間体の形成と遊離がどのように起こるかの詳細は不明でした。
図1 Td2F2の反応機構の概略
基質非結合状態から、基質のグルコシド部分と酵素が共有結合した中間体が一時的に形成された後に、生成物が形成される、2段階の反応を経る。
Y295はその位置を変えながら(紫矢印)、E352の求核攻撃による中間体形成と、中間体からグルコシド部分が外れる生成物形成の両方の段階を補助する。構造解析には、中間体で反応を止めるために、グルコシド部分の2位のヒドロキシ基(OH; 青丸部分)をフッ素原子(F)に置き換えた化合物である2F-Glcを用いた。
中間体で中心部位に侵入する水分子を赤丸で示した。
東京大学大学院農学生命科学研究科の伏信進矢教授らは、JASRIの矢野直峰研究員と共同で、中性子結晶構造解析(注4)を用いてTd2F2の反応機構を詳細に調べました。研究グループはTd2F2の巨大単結晶を作成し、CROSSの日下勝弘副主任研究員(当時)の協力のもと、茨城県生命物質構造解析装置iBIXで中性子回折データを取得しました。さらに、高エネルギー加速器研究機構(KEK)のフォトンファクトリー(PF)にあるビームラインBL-5Aで得られたX線回折データと統合したジョイントX線/中性子構造解析を行うことで、より精密な三次元構造を決定しました。
解析の結果、基質非結合状態、中間体である2-デオキシ-2-フルオログルコシド(2F-Glc)の結合状態、生成物であるグルコース結合状態の3状態において、水素原子および重水素原子(D)(注5)を含む微細な立体構造を1.70〜1.80 Åの分解能で決定することに成功しました。特に、2F-Glc中間体構造では多数の重水素原子が観測され、酵素が基質を認識する水素結合ネットワークをほぼ完全に明らかにすることができました(図2左)。
また、Td2F2のアミノ酸残基のうち295番目のチロシン(Y295)は、基質に求核攻撃(注7)を行うE352と水素結合して触媒機能を補助していることが判明しました(図2中)。さらに、2F-Glc中間体結合状態では酵素の中心部位に水分子が侵入し、Y295が大きく動くことが観察されました。中間体では、Y295が別のコンフォメーション(注8)を取り、グルコースの遊離を助けることも示されました(図2右)。

図2 Td2F2の反応に関わる構造
左:2F-Glc中間体構造と、グルコシド部分の認識に関わる水素結合を作る重水素原子の位置。
中:基質非結合状態(上)と2F-Glc中間体(下)における重水素原子の位置。基質非結合状態でのE352とY295の水素結合を赤い四角で囲った。2F-Glc中間体で中心部位に侵入する水分子を赤丸で、アミノ酸残基の動きを赤矢印で示した。
右:2F-Glc中間体構造におけるY295の動き(紫矢印)とX線電子密度。中性子散乱密度またはX線電子密度を青いかごで表した。
各原子については、重水素はシアン(水色)、(軽)水素は白、炭素は黄(または緑か赤紫)、窒素は青、酸素は赤で表している。
これを検証するため、伏信教授らはY295をフェニルアラニンに置換したY295F変異体を作製し、筑波大学の高谷直樹教授らと共同でストップドフロー装置を用いた前定常状態動力学測定を実施しました。その結果、Y295は中間体形成と生成物形成の両段階で重要な役割を果たすことが明らかとなりました。
Td2F2は、糖質加水分解酵素(注9)の代表的なファミリーGH1に属し、多くの糖鎖分解酵素のモデル酵素となり得ます。実際、Y295に対応する残基は他の多くのファミリーの酵素にも存在し、同様の反応機構が働くと考えられます。糖質加水分解酵素はバイオマス分解だけでなく、食品加工や乳糖分解、オリゴ糖医薬品合成、素材化学など幅広い分野で利用されています。本研究は、これら多様な応用分野における酵素改良や新規酵素設計の基礎知識を提供する重要な成果です。
発表雑誌
雑誌名:「Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America」
論文タイトル:Neutron crystallography of the covalent intermediate of β-glucosidase reveals remodeling of the catalytic center
著者:Naomine Yano*, Toma Kashima, Hiromu Arakawa, Chih-Chieh Lin , Akihiro Ishiwata , Hana Namiki , Naoki Takaya, Katsunori Tanaka, Katsuhiro Kusaka, and Shinya Fushinobu* (*責任著者)
DOI番号:10.1073/pnas.2502828122
発表者
矢野 直峰 (公益財団法人高輝度光科学研究センター(JASRI)構造生物学推進室 テニュアトラック研究員)
鹿島 騰真 (東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命工学専攻 助教)
荒川 啓 (東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命工学専攻 大学院生;当時)
林 稚傑 (東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命工学専攻 特別研究学生;当時)
石渡 明弘 (国立研究開発法人理化学研究所 専任研究員)
並木 はな (筑波大学生命環境学群生物資源学類 学部学生)
高谷 直樹 (筑波大学大学院生命環境科学研究科 教授)
田中 克典 (国立研究開発法人理化学研究所 主任研究員)
日下 勝弘 (一般財団法人総合科学研究機構(CROSS)中性子産業利用推進センター 副主任研究員;当時)
伏信 進矢 (東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命工学専攻 教授)
用語解説
(注1)メタゲノム:環境中の微生物群全体の遺伝情報。培養できない微生物の遺伝子も含まれる。
(注2)X線結晶構造解析:タンパク質結晶にX線を照射し、回折パターンから三次元構造を決定する手法。水素原子は通常観測できない。
(注3)水素結合:水素原子が酸素や窒素などの原子と形成する相互作用で、酵素の基質認識や反応制御に重要。
(注4)中性子結晶構造解析:中性子ビームを用いて結晶構造を解析する手法。水素や重水素(D)の位置を直接観測でき、酵素反応の水素移動を明らかにできる。
(注5)重水素原子(D):通常の水素(1H)より中性子が1個多い同位体。中性子回折で散乱が明瞭となるため、中性子構造解析に利用される。
(注6)分解能(Å):構造解析の精密度を表す指標。数値が小さいほど原子レベルで細部が識別可能。
(注7)求核攻撃:電子を供与して化学結合を形成する反応。酵素反応では基質切断や中間体形成に関与することが多い。
(注8)コンフォメーション:分子やタンパク質の立体的配置。反応進行に伴い動的に変化する。
(注9)糖質加水分解酵素(Glycoside Hydrolase):糖鎖を加水分解して切断する酵素群。セルラーゼ、アミラーゼなどが含まれ、食品・医薬・環境・素材化学などで利用される。
問い合わせ先
東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命工学専攻 酵素学研究室
教授 伏信 進矢(ふしのぶ しんや)
Tel:03-5841-5151
Fax:03-5841-5151
研究室URL: http://enzyme13.bt.a.u-tokyo.ac.jp/


