発表のポイント

  • 犬の膀胱がん(正式には尿路上皮がん)は進行が早く、転移もしやすいため、早期に見つけて経過を追える新しい検査方法が求められています。
  • 私たちは、犬の尿に含まれる脂質の種類や量を詳しく調べることで、がんの特徴を明らかにできることを示しました。
  • 特にBRAF遺伝子の変異や一般的に使用される治療薬(NSAIDs)の服用が脂質の産生パターンに大きく関わっていることを突き止めました。

発表内容

 犬の膀胱がん(尿路上皮がん:canine urothelial carcinoma)は、転移性が高く、手術適応が限られる悪性腫瘍である。犬の膀胱がんでは抗炎症薬として用いられるシクロオキシゲナーゼ(COX)阻害薬(NSAIDs)が有効であることや、BRAF遺伝子の変異(BRAFV595E)が高頻度に認められるという特徴があるが、その病態メカニズムの多くは未解明であった。

 本研究では、尿路上皮がんと診断された犬38例(うちNSAIDs未投与26例)および健常犬12例の尿を対象に、質量分析装置(LC-MS/MS)を用いて網羅的に生理活性脂質の濃度を測定した。その結果、尿路上皮がんに罹患した犬の尿中ではPGE₂TXB₂LTE₄HETEをはじめとする多数の生理活性脂質の濃度が有意に増加し、15-keto-PGE₂などの一部の生理活性脂質の濃度は減少していた。これは、過去に報告されている腫瘍組織中の脂質代謝酵素の発現パターンであるCOX-2の発現上昇や15-PGDHの発現低下と一致しており、犬の膀胱がんでPGE₂などの腫瘍促進性の生理活性脂質が蓄積していることが示唆された。

 さらに、BRAFV595E変異を有する犬では、COXだけでなく、リポキシゲナーゼ(LOX)やシトクロムP450(CYP)といった様々な代謝経路で産生される生理活性脂質の量が増加傾向を示した。また、NSAIDsを服用している犬では、意外にもPGE₂等の産生は抑制されていなかったが、LOX経路やCYP経路の生理活性脂質の産生量が増加しており、これらの経路への代謝のシフト(シャント)**が示唆された。

 以上の結果から、犬の膀胱がんにおける尿中脂質プロファイルは診断マーカーや治療応答のモニタリング指標となり得るとともに、BRAF変異をもつがんに対する脂質代謝標的治療の可能性が示された。犬を用いた自然発症モデルは、ヒトのBRAF変異を有するがん研究にも応用可能性が高い。

発表者

林 亜佳音(東京大学大学院農学生命科学研究科・応用動物科学専攻・放射線動物科学研究室・特任研究員)
前田 真吾(東京大学大学院農学生命科学研究科・獣医学専攻・臨床病理学研究室・准教授)
山﨑 愛理沙(東京大学大学院農学生命科学研究科・応用動物科学専攻・放射線動物科学研究室・大学院生:研究当時)
中村 達朗(東京大学大学院農学生命科学研究科・応用動物科学専攻・放射線動物科学研究室・特任講師:研究当時)
後藤 裕子(東京大学附属動物医療センター・特任准教授)
米澤 智洋(東京大学大学院農学生命科学研究科・獣医学専攻・臨床病理学研究室・准教授)
小林 幸司(東京大学大学院農学生命科学研究科・食と動物のシステム科学研究室・特任講師)
村田 幸久(東京大学大学院農学生命科学研究科・獣医学専攻・獣医薬理学研究室・准教授)

発表雑誌

掲載誌: The Veterinary Journal
論文題名: Urinary lipid production in dogs with urothelial carcinoma
DOI:10.1016/j.tvjl.2025.106373
HP:https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S1090023325000772

用語解説

  • cUC(犬の尿路上皮がん): 犬の膀胱にできる悪性腫瘍で、ヒトの膀胱がんにも似た性質を持つ。
  • 生理活性脂質: 体内の炎症やがんの進行に深く関わる、脂肪酸(アラキドン酸など)由来の化学物質。プロスタグランジンなどが含まれる。
  • BRAFV595E変異: がんの進行を早める遺伝子変異の一つで、ヒトのがんで見られる遺伝子変異BRAFV600Eと非常によく似た特徴を持つ。
  • NSAIDs(非ステロイド性抗炎症薬): 解熱鎮痛剤としても広く使われている薬。炎症や腫瘍の進行に関わる酵素COXの働きを抑えることで効果を発揮する。
  • COX(シクロオキシゲナーゼ): 炎症やがんの進行に関わるプロスタグランジンを作り出す酵素。NSAIDsはこのCOXの働きを抑えることで作用する。
  • LOX(リポキシゲナーゼ): 白血球などの免疫細胞が主に持つ酵素で、ロイコトリエンやHETEなどの炎症性脂質を作る。がんやアレルギーに関与する。
  • CYP(シトクロムP450): 肝臓などで働く解毒酵素の一種で、脂質を酸化してエポキシドやDHETなどの物質に変える。がんや血圧の調節にも影響を与える。

問い合わせ先

東京大学大学院農学生命科学研究科
獣医薬理学研究室・放射線動物科学研究室
准教授 村田 幸久
Tel: 03-5841-7247 / Fax: 03-5841-8183
E-mail: amurata<アット>g.ecc.u-tokyo.ac.jp(<アット>を@に)


図1:研究概略図



図2:膀胱がんに罹患した犬の尿では、PGE2やTXB2の濃度が増加し、15-keto-PGE2の濃度が減少していた

関連教員

前田 真吾
後藤 裕子
米澤 智洋
小林 幸司
村田 幸久