マウスの「かゆみ」をAIで“見える化”――かゆみの質と量を定量できる新技術を開発――
発表のポイント
◆ 人工知能(AI)を活用し、マウスの行動動画から「かゆみに伴うひっかき行動」を24時間自動解析できる新手法を開発。
◆皮膚炎モデルマウスで、人間の「夜間のかゆみ」に似た持続的で消えにくいかゆみを確認。
◆慢性皮膚疾患やアレルギー研究、かゆみ治療薬の開発に役立つ世界初の解析基盤を確立。
AIの活用により、動物実験を最適化し、人に似たかゆみをマウスで再現することに成功
概要
東京大学大学院農学生命科学研究科の村田幸久准教授・小林幸司特任講師らの研究グループは、マウスの「ひっかき行動」(注1)を24時間にわたって自動的に解析する新技術を開発しました。これまでのかゆみ研究は、研究者が短時間の動画を目視で観察して評価しており、夜間や長時間にわたる解析は困難でした。今回、人工知能(ニューラルネットワーク)(注2)を用いることで、日常的に生じるかゆみの質や量を正確に数値化することに成功しました。
発表内容
かゆみ(掻痒:そうよう)は、アトピー性皮膚炎などの皮膚疾患やアレルギーに伴って現れる身近な症状です。しかしその影響は想像以上に深刻です。特に夜に強くなるかゆみは眠りを妨げ、日中の集中力を低下させるだけでなく、慢性的な疲労や抑うつの原因ともなります。皮膚をかきむしることで皮膚のバリア機能が損なわれ、病気が悪化することも少なくありません。まさに「かゆみ」は生活の質を大きく損なう“見えにくい病苦”なのです。
これまで、かゆみの治療薬の開発は動物モデルを使って進められてきましたが、その評価方法は研究者が撮影した動画を目視で観察し、動物の「ひっかき行動」を評価するという古典的なものでした。人間の観察力には限界があるため、このような方法ではひっかき行動の細かな特徴や時間帯による変化を長時間にわたって調べることはできませんでした。
そこで東京大学の研究チームは、マウスを飼育ケージ内で24時間撮影し、その映像を人工知能(AI)の一種であるニューラルネットワークで解析する手法を開発しました(図1)。この新技術により、マウスの「ひっかき行動」を人間の観察を超える精度で自動検出することが可能となりました。
図1:AIの活用により、動物実験を最適化し、人に似たかゆみをマウスで再現することに成功
マウスの「ひっかき行動」を24時間解析した結果、健常なマウスでも、昼間(マウスは夜行性なので休息している時間)のほうが長く、消退しにくいひっかき行動が続くことが分かりました(図2)。つまり「かゆみがなかなか消えない時間帯」が存在するのです。これは、人間の患者さんが「夜になるとかゆくて眠れない」と訴える現象と似ており、かゆみの体内リズムに迫る重要な手がかりになります。
図2 健常なマウスの24時間のひっかき行動の推移
(A)マウスは夜行性であるため、明期(8時-20時)のほとんどを休息に当てており、散発的な活動(青線、矢印で示すピーク)が見られる。明期のひっかき行動は、マウスが活動している時間とほとんど同期している(赤線)。また、明期のひっかき行動は暗期と比べて回数が多く(B)、合計時間も長い (C)。また、痒みが消退する確率が低く(D)、しつこく残ります。
さらに、アトピー性皮膚炎を模したマウスでは、かゆみが数日間にわたって続き、眠っているはずの時間にまでひっかき行動を繰り返すことが明らかになりました(図3)。単なる一時的なかゆみではなく、「生活のリズムそのものを乱す持続的なかゆみ」が起きていたのです。
これらの成果は、従来の短時間観察では見えなかった「かゆみの持続性」や「日内変動」を世界で初めて捉えたものです。本研究チームでは、AIを駆使して「少ない動物実験から最大限の情報を得る」ことを目指した技術の開発を続けています(関連情報を参照)。再現性と客観性に優れ、人間の主観に依存しないデータを生み出すことで、かゆみ研究の新しい標準を築くことができます。こうした技術の進展は、患者さんの苦しみに直結する「夜間のかゆみ」など、これまで解明が難しかった問題に正面から取り組む道を開きます。
私たちの取り組みは、動物への負担軽減を目指した実験の効率化と倫理性の向上に貢献するとともに、患者さんの生活の質を根本から改善する新しい治療法の開発へとつながるものです。
図3 皮膚炎を惹起したマウスの24時間のひっかき行動の推移
皮膚炎を惹起したマウスでは、明期のうち活発な活動が見られない、つまり休息をとっている時間帯でも顕著なひっかき行動がみられる(矢頭)。このような傾向は健康なマウスでは見られない(図2A)
〇関連情報:
1.動画から動物の探索行動を自動で検出するシステムの開発
https://www.a.u-tokyo.ac.jp/topics/topics_20241007-2.html
2.深層学習を用いたマウス「立ち上がり行動」の自動解析技術を開発 —簡便な動画記録のみで昼夜を問わず定量的行動解析が可能に —
https://www.a.u-tokyo.ac.jp/topics/topics_20250619-2.html
3.「アトピー性皮膚炎の尿中バイオマーカーの発見」(2021/10/1)
https://www.a.u-tokyo.ac.jp/topics/topics_20211001-1.html
4.「東京大学大学院農学生命科学研究科・放射線動物科学研究室ホームページ」
https://www.vm.a.u-tokyo.ac.jp/houshasen/index.html
発表者・研究者等情報
東京大学 大学院農学生命科学研究科
小林 幸司 特任講師
宮崎 優介 博士課程
坂本 直観 博士課程
永田 奈々恵 特任講師
村田 幸久 准教授
北海道大学 大学院情報科学研究院
山本 雅人 教授
論文情報
雑誌名:PNAS Nexus
題 名:Long-term scratching analysis of mice using machine learning
著者名:Koji Kobayashi, Yusuke Miyazaki, Naoaki Sakamoto, Masahito Yamamoto, Nanae Nagata, *Takahisa Murata
DOI: 10.1093/pnasnexus/pgaf292
研究助成
本研究は、日本学術振興会 科学研究費助成事業(19K15975, 17H06252, 20H05678)、JST A-STEP(JPMJTR22UF)の支援により実施されました。
用語解説
(注1)ひっかき行動:マウスが後肢で体を繰り返し引っかく動作。実験動物においてかゆみの指標として広く用いられる。
(注2)ニューラルネットワーク:人工知能の一種で、動物の神経回路を模したモデル。映像や音声から複雑なパターンを自律的に学習・識別できる。
問合せ先
(研究内容については発表者にお問合せください)
東京大学 大学院農学生命科学研究科
獣医薬理学研究室/放射線動物科学研究室/食と動物のシステム科学研究室
准教授 村田 幸久(むらた たかひさ)
Tel:03-5841-7247 E-mail:amurata[at]mail.ecc.u-tokyo.ac.jp
東京大学 大学院農学生命科学研究科・農学部
総務課総務チーム広報情報担当
Tel:03-5841-8179 E-mail:koho.a[at]gs.mail.u-tokyo.ac.jp
※上記の[at]は@に置き換えてください。