アフリカ豚熱ウイルスの「組み立て補助タンパク質」の立体構造を解明――ウイルス増殖のカギとなる分子シャペロン機能を発見、ワクチン・抗ウイルス薬開発へ新たな手がかり――
発表のポイント
◆豚に致死的な感染症「アフリカ豚熱」の原因ウイルスが、自分自身で「タンパク質の折りたたみを助ける装置(分子シャペロン)」を持っていることを明らかにしました。
◆その重要タンパク質pB602Lの立体構造をクライオ電子顕微鏡(cryo-EM)で初めて解析し、ATPを使って他のウイルスタンパク質の正しい構造形成を助けるしくみを解析しました。
◆ウイルスの増殖に必須の働きを持つことから、本タンパク質は今後、安全なワクチン開発の標的分子となることが期待されます。
図 pB602Lホモ二量体の立体構造(青 N末端-C末端 赤)
pB602Lはホモ二量体として存在する。N末端領域は二量体化ドメイン、C末端領域は分子シャペロンドメインとして機能する。AlphaFold3では二回対称の分子構造が予測されたが、cryo-EM構造(柔軟性が高いC末端部は見えていない)では二個のプロトマーが異なるコンフォメーションを有しており、二個のC末端領域が近接し、協調して分子シャペロンとして働くことが示唆された。
発表内容
東京大学大学院農学生命科学研究科の永田宏次教授、伊藤英晃特任研究員(当時)らの研究グループは、アフリカ豚熱(注1)ウイルス(ASFV)(注2)が自ら産生する特殊な「分子シャペロン」(注3)タンパク質 pB602L の立体構造とその働きを、世界で初めて詳細に解明しました。
アフリカ豚熱は、豚やイノシシにほぼ100%に近い致死率を示す極めて危険な感染症であり、世界各国の養豚産業や食料供給に深刻な被害をもたらしています。しかしながら、現時点では安全性と有効性を十分に兼ね備えたワクチンや治療法は確立されていません。
ウイルスが増殖するためには、多数のタンパク質が正しい立体構造へと正確に折りたたまれる必要があります。折りたたみに失敗すると、ウイルス粒子は正常に組み立てられず、感染力を失ってしまいます。通常、このようなタンパク質の折りたたみは宿主細胞が持つ「分子シャペロン」によって補助されますが、ASFVは例外的に、自身専用のシャペロンタンパク質 pB602L (注4)を自前でコードしているという特徴を持っています。
本研究では、クライオ電子顕微鏡による高分解能立体構造解析、AlphaFold3 (注5)による構造予測、ATP (注6)分解活性の測定を含む生化学実験、さらにタンパク質の結合および折りたたみ機能解析を組み合わせることで、pB602L の分子機構を多角的に解析しました。
その結果、pB602Lは二分子が対になった二量体として機能し、安定した構造を形成すること、さらに ATP を分解してエネルギーを得る「分子モーター」(注7)として働き、そのエネルギーを利用してウイルスタンパク質の折りたたみを助けることが明らかになりました(図1)。加えて、ウイルス粒子の殻を構成するカプシドタンパク質(p72)(注8)や、ポリプロテイン切断酵素(pS273R)(注9)の正しい構造形成を直接補助していることも確認されました。すなわち、このタンパク質が機能しなければ、ウイルスは完全な粒子を形成できず、増殖できないことが示されたのです。
今回の成果は、これまで不明であった ASFVの増殖機構の中核を担う因子を、原子レベルの構造情報とともに明らかにした点で大きな意義があります。pB602L はウイルスにとって不可欠な存在であるにもかかわらず詳細な分子機構は未解明でしたが、本研究によりその「弱点」が初めて可視化されました。
従来の抗ウイルス薬は、ウイルスDNAの複製阻害や酵素活性の阻害を主な標的としてきましたが、本研究は「ウイルスタンパク質の組み立てそのものを妨げる」という新しい治療戦略の可能性を提示します。pB602L の働きを阻害できれば、正しい構造が形成されず、ウイルス粒子が完成しないため、感染拡大を根本的に抑制できると期待されます。
さらに、本知見は、pB602L の機能を弱めた安全性の高いウイルス株の設計など、次世代ワクチン開発への応用にもつながる可能性があります。現在の弱毒生ワクチン(注10)が抱える「毒性回復」のリスクを回避する新たなアプローチとしても、本研究成果の活用が期待されます。
図1:pB602Lホモ二量体の分子シャペロン機能の模式図
pB602LのC末端領域にはATPase活性があり、p72やpS273Rの折りたたみに重要な分子シャペロンとして機能する。
〇関連情報:
「アフリカ豚熱ウイルスのゲノムとトランスクリプトーム解析 ―新しいワクチンと治療法の探索:強毒株と弱毒株の比較研究―」(2023/09/11)
https://www.a.u-tokyo.ac.jp/topics/topics_20230911-2.html
発表者・研究者等情報
東京大学
大学院農学生命科学研究科
韋 思博 博士課
陸 鵬 当時:助教
劉 暢 当時:特任研究員
牛 宇雪 当時:修士課程
齋藤 志ほ 学術専門職員
奥田 傑 准教授
堤 研太 助教
岡本 研 特任研究員
鈴木 道生 教授
伊藤 英晃 当時:特任研究員
永田 宏次 教授
大阪大学
大学院生命機能研究科
難波 啓一 特任教授
宮田 知子 特任准教授
牧野 文信 招へい准教授
農業・食品産業技術総合研究機構
動物衛生研究部門
北村 知也 研究員
舛甚 賢太郎 グループ長補佐
國保 健浩 主席研究員
論文情報
雑誌名:International Journal of Biological Macromolecules
題 名:African swine fever virus protein pB602L is a unique molecular chaperone promoting the folding of the major capsid protein p72 and the polyprotein processing protease pS273R
著者名:Sibo Wei, Peng Lu, Tomoko Miyata, Fumiaki Makino, Keiichi Namba, Chang Liu, Yuxue Niu, Shiho Saito, Suguru Okuda, Kenta Tsutsumi, Ken Okamoto, Michio Suzuki, Tomoya Kitamura, Kentaro Masujin, Takehiro Kokuho, Hideaki Itoh*, Koji Nagata*(*責任著者)
DOI: https://doi.org/10.1016/j.ijbiomac.2026.150685
URL: https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0141813026006112
研究助成
本研究は、農林水産省の「安全な農畜水産物安定供給のための包括的レギュラトリーサイエンス研究推進委託事業(官民・国際連携による ASF ワクチン開発の加速化)」(JPJ008617.20319736)により実施されました。また、本研究の一部は、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)の「創薬等先端技術支援基盤プラットフォーム(BINDS:Basis for Supporting Innovative Drug Discovery and Life Science Research)」(JP23ama121003)および大阪大学の日本電子YOKOGUSHI協働研究所による支援を受けて実施されました。
用語解説
(注1)アフリカ豚熱(ASF)
アフリカ豚熱は、豚およびイノシシに感染するウイルス性の伝染病であり、高熱、出血、臓器障害などを引き起こし、多くの場合数日以内に死に至る極めて致死率の高い疾病である。人には感染しないが、家畜が大量死するため養豚業に甚大な経済的損失を与える。そのため世界動物保健機関(WOAH)により最重要監視疾病の一つに指定され、各国で厳重な防疫対策が講じられている。
(注2)アフリカ豚熱ウイルス(ASFV)
アフリカ豚熱の原因となるDNAウイルスであり、直径約200ナノメートルを超える大型のウイルス粒子を形成する。一般的なウイルスよりも多くの遺伝子(約150~200種類)を持ち、自身で多様なタンパク質を作り出す能力を有する点が特徴である。その構造は多層的で複雑であり、精密な「組み立て工程」を経て完成する。
(注3)分子シャペロン
細胞内で新しく合成されたタンパク質が、正しい立体構造に折りたたまれるのを補助するタンパク質群の総称である。タンパク質は形が正しくなければ機能できないため、誤った折りたたみや凝集を防ぐことが極めて重要である。分子シャペロンは、折りたたみ途中の不安定なタンパク質を保護し、正しい形へ導く「品質管理係」または「組み立て補助装置」に相当する役割を担う。
(注4)pB602L
アフリカ豚熱ウイルスが自ら産生する分子シャペロンタンパク質の名称である。ウイルスを構成する主要タンパク質が正しく折りたたまれるのを助け、ウイルス粒子の組み立てを成立させる中心的因子である。このタンパク質が機能しない場合、ウイルスは不完全な構造しか作れず、感染力を失うことが知られている。すなわち、ウイルスの増殖に不可欠な「必須部品」である。
(注5)AlphaFold3
人工知能(AI)を利用してタンパク質や分子複合体の立体構造を高精度に予測する計算プログラムである。アミノ酸配列から、折りたたまれた立体構造を推定できる点に大きな特徴がある。従来は実験に長期間を要した構造解析を大幅に効率化できるため、近年の生命科学・創薬研究において不可欠な解析技術となっている。
(注6)ATP
アデノシン三リン酸(Adenosine 5’-Triphosphate)の略称であり、細胞内でエネルギーを蓄え運搬する分子である。リン酸結合が切れる際にエネルギーが放出され、そのエネルギーが運動、物質合成、輸送反応など多様な生命活動に利用される。このためATPは「生体のエネルギー通貨」と表現されることが多い。
(注7)分子モーター
ATPの化学エネルギーを機械的な運動や構造変化へ変換するタンパク質分子の総称である。細胞内で物質を運搬したり、形を変えたり、他の分子を動かしたりする働きを担う。極めて小型ながら、ナノメートルスケールで動作する「生体分子機械」と考えることができる。本研究の pB602L も、ATP を利用して働く分子モーターの一種である。
(注8)カプシドタンパク質(p72)
ASFVのウイルス粒子の外殻(カプシド)を構成する主要タンパク質である。遺伝情報(DNA)を物理的に保護し、ウイルスの形状を維持する役割を担う。家に例えれば「壁」や「骨組み」に相当し、これが正しく形成されなければウイルス粒子は安定に存在できない。
(注9)ポリプロテイン切断酵素(pS273R)
ASFVが産生する酵素タンパク質であり、ウイルス粒子内部の構造(コアシェル)を形成するタンパク質の前駆体(ポリプロテイン)を、適切な大きさに切断して機能的な部品へ加工する働きを担う。ポリプロテインとは、複数のタンパク質が一つにつながった未完成の状態の分子であり、この酵素による切断によって初めてそれぞれが独立した部品として機能できるようになる。pS273R は、いわば「分子ハサミ」としてこれらの前駆体を正確に切り分け、ウイルス粒子の組み立て工程を進行させる役割を果たす。酵素活性が失われると部品加工ができず、ウイルスは正しく形成されないため、増殖に不可欠な因子である。
(注10)弱毒生ワクチン
病原体の毒性(病気を引き起こす力)を人工的に弱めた、生きたウイルスや細菌を利用するワクチンである。体内で軽度に増殖することで、自然感染に近い強い免疫反応を誘導でき、長期間の免疫が得られやすいという利点を有する。一方で、生きた病原体を使用するため、まれに毒性が回復したり、体内や環境中で拡散したりする可能性があり、安全性の確保が重要な課題とされている。ASFVに対しては、これまでに三種類の弱毒生ワクチンが実用化されているが、安全性に関する懸念が残されていることから、より安全で確実な次世代ワクチンの開発に向けた研究が引き続き求められている。
問合せ先
<研究内容について>
東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 食品生物構造学研究室
教授 永田 宏次(ながた こうじ)
Tel:03-5841-1117 E-mail:aknagata@mail.ecc.u-tokyo.ac.jp
<機関窓口>
東京大学大学院農学生命科学研究科・農学部 総務課広報情報担当
Tel:03-5841-8179/5484 E-mail:koho.a@gs.mail.u-tokyo.ac.jp

